カテゴリ:
僕が面接官をするときに、よくたずねることがあります。

「あなたがもっとも長く続けてきたことはなんですか?」

勲章でも、宝島の地図でもなく、どんな舟に乗っているのかという習慣を知りたくてそんなことを聞きます。
感心してこちらが身を正すような回答に出会うこともあるし、たぶんこちらの聞き方が悪いせいでうまく答えを引き出せないこともあります。長く継続している習慣ほど無意識のうちに行ってしまっているもので、とっさの質問では意識下に浮かんでこない、という事情もあるかと思います。だからそれだけで何かを測れるとは思っていないんだけど、僕自身が興味を持っていることなので、わりとよくたずねるわけです。

いつだったか、不思議なことがありました。

中途採用面談で社をたずねてきた男の自己紹介と志望動機を聞きながらいつものようにメモをとっていると、話の内容が手元のレジュメとずいぶん違っていることに気づいたんです。というか、まったく違う。

「失礼」といって話をさえぎり名を確認すると、彼はそこに書かれてあるのとは違う名を名乗りました。すみません、今なんと?

「ですから、代々木(よよぎ)と申します」














































































男とのダイアローグを3000文字ほど書き、数日寝かせ、結局、丸ごと削除し、変わりにそれと同量の改行を残すことにしました。

なぜか。

僕がこうやって長々と内省しているうちに、「佐々木さん、人って変われると思いますか?」と相談してくれた友人は、僕の誕生日にわざわざ仕事を抜けてプレゼントと手紙を届けにきてくれまして、その行動に僕は、言葉で何か語った気になるのが馬鹿馬鹿しく思えてきたというわけです。一連の記事の終わらせ方を悩んでいたところに、そもそものきっかけとなった友人がふいに現れ、風呂敷を畳むきっかけをくれました。どうもありがとう。

さて、なんの話をしていたんでしたか。

人は変われるか?
もちろん、変われる。
でもそれは、他人からではなく、自分からはじめなければならない。言葉ではなく、行動からはじめなければいけない。

よってこれ以上のおしゃべりは慎みます。
内省を終えたら、あとは沈黙して舟を漕ぐのみ。誰とも比較せず、過去や未来の自分とも比較せず、今ここ、自分のことだけ考えて、他者に働きかけよう。ピース。

小林弘人の夢、出澤剛の日課 -「佐々木さん、人って変われると思いますか?」と言われて考えたこと(4)

カテゴリ:
長いこと、会社のメンバーには相談できなかった悩みがありまして。

人生に目標設定は必要か?」というのがそれです。

これは反語だから、つまり僕の言いたいこととは「人生に目標設定なんていらねーべ」ってことだったんですが、毎期の目標設定と査定をする立場の人間がそれを言っちゃあ模範にならないってんで黙ってました。会社を辞めたメンバーには「実は」と言って本音で話したこともあるけれど、基本的には、長いことアンビバレンツな思いでもってひとり悩み、答えを出せずにいたわけです。

なにしろ、あらゆるヒーローやビジネスリーダーたちが、目標設定の大事さを説いています。本田圭佑、イチロー、石川遼らが小学校の卒業アルバムで宣言した夢を実現させてきたのは有名な話だし、ソフトバンクの孫さんは今でも自分の夢を寝室の壁に大書して掲げているといいます。
そうしたキラ星のような事例を金科玉条として、世にあふれるビジネス書はどのように目標設定すべきかという具体的な方法を手取り足取り教えてくれます。でも、目標設定の必要性について一緒に疑って考えてくれる本には、僕が読んだ限りでは出会えませんでした。

もし10年後の自分を想像し得たとして、そこから逆算して今の自分の人生の在り方を決めていくとしたら、それは10年後の自分を生きることに他ならないのであって、誰が自分の代わりに今の自分を生きてくれるというんだろう? じゃあ行き当たりばったりでいいのかというと、それを胸はって誰かに勧めるだけの自信もまたない、というね。

人にも相談できず、本でも回答に巡りあえず、ずいぶん長いことウダウダと考えておったんですが、最近ようやく合点がいきました。腑に落ちてみると簡単な話で、目標設定はやはりあったほうがいい! というずっこけそうな結論に至りました。やっぱそうなのか。みんな正しかったんだと。僕だけが、納得するのにやけに時間がかかってしまったわからず屋のわからんちんでした。

でも、わからず屋がわかったときには、(自分で言うのもなんですが)わりと深くわかってるものなので、ここで自分が理解したことを書きたいと思います。

小林弘人の夢、出澤剛の日課


つい最近、僕が最初に入った会社、インフォバーンのメンバーと会い、酒を飲みました。実に10年ちょっとぶりのことです。敬愛する人たちとこれほど久しく時を隔てなければならなかった理由は、自分のなかには今もまだいくらか存在していて、会場へはそれなりに緊張して向かわねばならなかったんですが、着席即、リラックスできました。事前に示し合わせたわけでもないのに、その週に発売されたばかりのMETAFIVEの新譜を全員がそろって買って聴いてる男トリオというのがなんかうれしかったですね。それで緊張も何もなくなり、ここが僕の自然体だったんだという、正中線ともいうべき場所を思い出したのでした。

そのときにみなで笑ったのは、当時(このときの話のなかでは2003年〜2004年頃のこと)、「ベンチャー」という言葉には、今でいう「スタートアップ」のような若く猛々しい夢と希望にあふれたニュアンスはまったくなかったよね、ということ。

田園都市線用賀駅徒歩25分のところにある暖房も冷房もろくに効かない一軒家で(「オフィス」と呼びたいところだけど、それはどこからどう見てもただの住宅でした)、20人ほどがすし詰めになって働いているに過ぎなかった当時のインフォバーンは、2016年時点でみなが「ベンチャー」とか「スタートアップ」とか呼んでいる企業のイメージからはだいぶ距離があり、どちらかといえば家内制手工業のような趣きがありました。それでもインフォバーンに入りたがったメンバーだけが、ただそれが好きで、ただそこが好きで、集まっていました。給料が安くてしんどかったような気がするけど、それはどちらかといえば後から補正された記憶の解釈で、当時はそんなことを不満に思う余裕もなかった。とにかく、目の前のことに必死でした。

仙台の大学を卒業後、職もないのにとりあえず東京に飛び出してきて、アルバイトをしながら初めて応募した会社がインフォバーン。そのときたまたま出された求人にラッキーにも飛びつくことができたのは、サイゾーの愛読者だったからで、金がないなか唯一買い続けた雑誌に救われたかっこうです。

その程度の望みで入社したもんですから、高邁な理想なんてあろうはずもなく、最初のうちは時給じゃなく月給であることだけで感動です。ちょっとくらいさぼっても、風邪で休まなくてはいけなくても、同じ給料が安定してもらえるなんてすげえ! マジ勝ち組! と本気で思いました。もちろんそれは、月給を勤務時間で割り戻せばいくらになるか冷静に計算できるようになるまでの話ではありますが、それがわかってからもなお、時間ではなく成果で評価がされるようになったことは、うれしいことでした。

この程度の意識で働いている一介の労働者である僕に、代表の小林弘人 a.k.a こばへんが何かの弾みでこんな風なことを言いました。

「日本の若いやつは、ほんと使えない。英語も統計もプログラムもできる中国人が、夢と理想に燃えてやってくるんだから、みんなもっと危機感を持ったほうがいいよ」

このときの状況を補足すると、こばへんとは二人きりだったわけですが、こばへんはこれを僕に向かって言ってるわけじゃないんですね。どこか遠くへ向かって言っていて、僕はテニスボールを打ち付けられる壁のような存在だったかと思います。
そのとき僕はなんと言ったんだか。たぶん「なるほどですね」とかそんな感じで、壁に徹していたような気がします。でも、壁は壁なりに衝撃を受けていました。当時の僕にとって、グローバリゼーションで自分の仕事がなくなるというのは、アンドロイドが人間の仕事を奪ってしまうのと同じくらい現実感がない未来の話で、自分ごとだとは思っておらず、明日の納品のことだけで頭がいっぱいでした。

こうした話のほかにも、こばへんは今も昔も一貫してビジョナリーであって、未来の夢を見、それを僕らに伝える存在でした。人のプライバシー意識がどう変わるか、未来のセックスがどうなるか、そんな話をしてくるボスなんてなかなかいません。
そうして壁は壁なりにこばへんの話を聞き、こばへんの書く原稿を読み、僕は次第にその夢に触発されていき、あるとき、編集者の道からウェブサービスの企画者を目指そうと決意し、会社に辞意を伝えました。

こばへんが本気を出すとすごい。辞意を伝えにきた僕をカフェに連れ出し、ビジョナリーとしてその現実歪曲フィールドを発動させて説得をしてくれました。そのときは壁ではなく、仕事の相手として。ありがたいことです。
結局、会社を辞めることにしましたが、それは、そのときの僕にこばへんと一緒に夢を見る資格がなかったというだけの話です。そのときこばへんが語ったことは正しかった。その後、10年経って振り返るに、こばへんの見た未来はほとんど的中し、そこに見た夢が現実に近づいていることは、微力ながら私が証言します。まじですごい。

ライブドアに入ったあと、そこで再びスキルとコードを獲得するまでには相応のつまずきがあるわけですが、そのときはタイミング的に同じ境遇の仲間に恵まれました。台風の目の中は案外に静かで、事件の反響ほどには内側は混乱しておらず、僕はただ、自分の仕事に夢中になって時を過ごしました。

そこで出会ったのが、代表の出澤さんです。

同じ会社とはいえ大きな組織でしたし、代表になる前は別事業部のボスだった出澤さんとはまさに「出会った」と表現するのが適している気がします。あるいは、当時の僕の立場からすると、「発見してもらった」ですかね。おもちゃ箱の奥から取り出した野暮ったいぬいぐるみのケツをポンと叩いてホコリを払い、閉ざされていたチャクラを蒙いて(ひらいて)命を吹き込み、ビジネスという戦場のマーチに参列させる。出澤さんがしたのは、そういうことでした。

およそ僕という人間は根っからの楽天家なのか、未来のためにいま何かに投資するという訓練をしてきませんでした。振り返れば、高校は近所を選んだだけ、大学は推薦で一校受けただけ、インフォバーンはたまたま見つけた求人で、ライブドアも一通だけ送った履歴書で。どうにかなるさの行き当たりばったり一本道。
だからそのときの僕が出澤さんから学んだことというのは、ごくごく基本的な、月次の課題、週次の課題、日次の課題を実行していくという営みでした。悩まず、意味を求めず、見返りも求めず、ひたすら愚直に。

愚直な繰り返しの日課は、小さな達成の習慣に育っていきます。そしてその習慣という“乗り物”こそが、気づかないうちに自分を遠くまで連れていってくれる、というわけです。こんな当たり前のことが、僕は長いことわかっていなかったんですね。

自らを鍛えなおす苦しさのなかで、当時の僕はこんなことをブログを書きました。

『ゲド戦記』のなかに、急いで遠くに逃れるためにハヤブサに変身する、というエピソードがあります。しかしその魔法であまりにも長時間ハヤブサの姿でい続けてしまったゲドは、元は人間であることを忘れて、自分がかけた魔法を解くことができなくなってしまいます。

このエピソードが最近、仕事と私生活のアナロジーに思えてきました。

仕事で取り組むプロジェクトが増え、また、それぞれに与えられたミッションがどれもおもしろくて、人間のままだと時間内にすべてやりきるのが困難だと。そこでハヤブサに変身ですよ。
ところが一度ハヤブサに変身するとなかなか人間には戻れなくて、朝起きて歯磨きしているときから夢の中までずっと仕事のことを考え続けて、前日のテンションが途切れないまま今日の仕事に突入してしまいます。(中略)

ゲドの場合は、師匠のオジオンが救いの手を差し伸べてくれましたが、現実には、自分でなんとかリフレッシュするしかありません。というわけで、最近ジョギングを始めました。

2008年4月19日 ハヤブサ : アルカンタラの熱い夏

いま読むとなかなか微笑ましく感じますが、このときはそれなりに必死で、人間であることをやめるような感覚で取り組んでいました。夢中になるというより、畜生道に堕ちる。そういう経験を通して、日課を守り、達成の習慣をつけ、遠くへ漕ぎ出そうとしていたんです。

ここに書き付けてあることどもは、自分が勝手に咀嚼してきたことで、内容に対する責任は僕にあります。出澤さんは、自分の仕事哲学を(僕のように恥ずかしげもなく)披露したりしません。日課という小舟を後ろ向きで愚直に漕ぎ続けるなかで、あとから同じように後ろ向きで漕いでくる僕たちの背中を見るのみ。自分には出澤さんがどこまで遠くに行ったか見えず、ただ背中に視線を感じながら、やはり愚直に舟を漕いでいるだけです。

さて。「人生に目標設定は必要か?」という話でした。

巷間よく言われる目標設定の欠陥は、その人が立っている平面の水準を考えずに、一律に人生の大目標を掲げさせようとするところにあると、いまはそう考えます。かくして、地元のご近所づきあいもできない人がクラウドファンディングとハンドクラフトで地方再生を夢を見るという喜劇的なアントレプレナーの誕生と相成るわけです。

というわけで、僕が考える「その人が立っている平面の水準」(レベルとは言いたくないので、このややこしい言い回しをしています)と、「目標までの距離」を分離して考える自分なりの目標設定の仕方とは、こうです。



その人が立っている平面の水準を、「Not Individual」と「Individual」と「Super Individual」に分け、それぞれに対して「目指す方向」と「獲得すべきもの」と「目標設定」を書きました。このうち、Not IndividualとIndividualの列に書いてある内容は、これまでに語ってきた通りです。

実名で書くブログにおいて、自分を物語のなかにあてはめていく自己陶酔的な気色悪さには自覚的であるつもりなんですが、わかりやすさのために繰り返します。なぜなら、理論ではなく物語こそが共感を生み、説得ではなく表現こそが世界を変えると確信するからです。

17歳までの小さな世界で、自分がIndividualな水平にいると勘違いした僕は、蝋の翼で空を目指し墜落しました。光を奪われた盲目のヒルコとしてNot Individualの平面を漂流するなか、師と、妣の化身と、友や仲間と、父なる存在に出会えた僕は、ひとつひとつチャクラが蒙かれて(ひらかれて)いき、なんとか再び個人の水平にまで帰還することができました。ここまではそういう話です。

(つづく。次回、主題に戻って、影についてと調和と平凡さの需要と愛と平和を語ってそれで終わりにします)

カテゴリ:
前回の記事を公開してから、また思い出しました。一昨年、2014年8月30日に、出身高校のOB会からのお誘いで、全校生徒の前で文化祭記念講演をしたんですよ。なんかすいません。何も成し遂げていないくせに何を偉そうにと僕も思います。思うからこそ、過去に二度も断ってきたんですが、このときは、自分が子どもを授かったばかりとあって、いささか心境が異なりました。

17年前に17歳だった自分に向けて話してみよう、そして、17年後に17歳になる息子に向けて話してみよう、そう思ったんです 。そのなかに、「妣の化身」に関連する話もありました。

ただ、いざ引き受けてはみたはいいものの、いつ両親や友人が見に来るんじゃないかと、ドキドキしていました。なにしろ文化祭の告知はオープンなものだったし、在校生でなくても誰もが来られる文化祭です。もし誰かが来てしまったなら、そのときにはネチケット(死後でしょうか?)の話に でも切り換えて無難にやり過ごそうと思っていたんですが、幸いにして、用件を知らせずに帰省していたからか、それでも知られてしまった人には「(来るなよ!)」という無言のメッセージを発していたからか、そもそも他人は他人に興味がないわけだから余計な心配に過ぎなかったのか、誰も来ず、それによって恥ずかしい思いをせずに済みました。

自分がどんなに17年前の自分と17年後の息子のために語っているつもりでも、自分をよく知っている人間には身の程知らずの阿呆にしか見えないわけですからね。

しかしそういう思いをしながらも登壇することにしたのは、それが表現せずにいられないことだったからだし、そのときの話を今ここで開陳しようとするのも、その(あるいは、この)表現がめぐりめぐって自分によい変化をもたらすだろうと思うからです。「表現し、還元され、成長する」。そのマントラには今も忠実です。

17年前の僕と、17年前の君に


特にめかしこみもせず、近所の自動販売機に缶コーヒーでも買いにでも行くような素振りで家を出ると、徒歩3分で母校に到着。近所にありながら、敷地内に入るのは実に17年ぶりのことです。でも不思議と、懐かしいとは思わなかった。なぜだろう。僕はすっかり17年前に戻ったつもりで校門をくぐったのかもしれません。

案内された校長室では、今回の企画をしてくださったOB会の方2名と校長と挨拶を交わし、年代物のソファーに腰掛け、お互いの自己紹介がてら雑談をしました。そのとき壁のぐるりを囲んでいたのは、歴代校長の写真と、過去の卒業アルバムや卒業文集を架蔵した書棚。旧制中学を前身とする母校は創立110年を超えており、なかなか壮観です。
ということはもちろん、話のよすがとして僕が卒業した代のアルバムと文集が出されてくるの当然の流れで、そこには前述した「いつか『超個人主義』という本を書きたい」ということがやっぱり書いてあるわけですね。
もしそれについて聞かれたら、「自分のことだけ考えてれば世の中うまくいくんですよ」と、誤解しか招かない極言を吐かなければいけなかったので、触れずにそっとしておいてくれた校長には感謝しかないです。というわけで僕は、招待したことを後悔される前に登壇することができました。

僕の手元に、そのときの講演のメモがあります。

  1. これだけ均質な条件の人が集まって長い時間を過ごす機会は、この先の人生で二度とありません。新しい社会に飛び出すと、自分が他人と違っていることに驚き、理解し合えないことを嘆くことがあるかもしれません。ですが、どちらもあたりまえのことです。自分は他人とは違い、他人とは理解し合えません。(でもそれは、悪いことじゃないんです)

  2. 進学して地元を出て行くと仮定すると、両親と過ごす生涯時間のうち96%はこの時点で消費済みです。家族を大切にしましょう。というのと同時に、みなさんはみなさんの人生を生きてください。(あと4%しか関わらなくていいんだ思うこともできるし、残りの時間は自分のファミリーと過ごすことになるわけですから)

  3. 好意や感謝は、思いや言葉だけでは伝わりません。もし今までそれで伝わっていたとしたら、幸運です。そちらのほうが珍しいことです。行動やモノといった「形」にして表してください。(友情があるから、よいコミュニケーションがあるんじゃなりません。よいコミュニケーションがあるところに、友情が生まれます)

  4. 統計では、みなさんのうち20%ほどが、生涯結婚せずに人生を過ごします。あるいは今後もっと増えるかもしれません。結婚しないという選択も当然あり得ますので、ここでは結婚したいと思っている人に伝えます。異性とステディな関係になるための知識や技術やアティテュードは、とても大切です。学校という社会ではそのことが過小評価されているので誰も教えてくれませんが、勉強や友情と同じくらい大切です。もし身近に、そういう体験ができる機会があるなら、臆さず飛び込みましょう。まだ機会が来ない人は、ひねくれず、ひがます、素直な気持ちで待ちましょう。(いい年齢になってから「恋愛工学」に夢中になるのはみっともないです)

  5. ティーンエイジャーのみなさんが触れるメディアや、そこで崇められているヒーローたちは、「勉強なんか大事なことじゃないさ」と言います。それが間違いだとは言いませんが、その情報にはバイアスがかかっています。勉強によって成功した人たちは、みなさんが触れるメディアには登場しません。平凡な暮らしをしている身近な大人たちのなかに、ヒーローはいます。探してみましょう。(そして平凡って、いいことですよ)

実際のメモにはこの倍くらいの項目が書きつけてあったんですが、ここでは本稿の趣旨に沿ったものだけ抜き出してみました。

これらはすべて、僕がつまづいてきたことのリストであり、17年後の息子に(できれば)スマートに学習してほしいと思っていることです。基本、生きていてくれるだけで嬉しくて、さらに元気だったらもう何も言うことはないので、これは高望みが過ぎると理解してはいます。いますが、こうしたモノローグであれば(しかしこれは本当にモノローグなんだろうか)、他者を変えてやろう、支配してやろうという傲慢からは逃れた慎みある行為の範疇に収まるだろうと思って書きました。

さてその具体的な内容ついて。
1から4は、前回までに語ってきました。以上。
5に関連する内容は、簡単に伝えられる自信がない。でも、もし僕にその力があれば、これから先の記事で書けると思う。書けるといいなと思います。

(つづく。次回こそ、人生に「目標設定」は必要なのか?)

オジオン先生と妣の化身 -「佐々木さん、人って変われると思いますか?」と言われて考えたこと(2)

カテゴリ:
前回の記事を公開してから思い出しました。高校の卒業文集に「いつか『超個人主義』という本を書きたい」って書いたんですよ。他にもっとなかったのかよとも思うんですが、わざわざ書いただけあって、伝えたかった内容は思い出せます。

自分が、他者との関わりによって生まれた社会的存在なら、究極的な利己ってのは究極に利他的に振舞うことであって、独善におちいらないエビバディハッピーな超個人主義ってのがありえるんじゃないかと。極言すれば、自分のことだけ考えてれば世の中うまくいくんじゃないか、っていう内容です。

そんな感じでなかなか威勢のいい話をぶっこきましたが、それで人が簡単に変われたかというとそうはイカロス溶けゆく翼。今回は、脆弱な万能感で空を目指し、太陽に焼かれた若者の話からはじめてみます。

オジオン先生と妣の化身


その理論と実践がうまくいっていたのは、高校のときだけでした。18年間、それこそ保育園や小学校からの幼馴染との付き合いばかりで、まるでGCU(継続保育室)のような、あるいは公園の砂場のような場所でしたから、必要とされる社交のスキルも原始的なものだけで済んだし、暗黙のコードも自然と理解して振るまえてた、ということだと思います。

それが変わるタイミングとして多くの人に心当たりがあるのは、進学や就職、さらに付け加えるならネットというもうひとつの社会へのデビューということになろうかと思います。生まれ育った環境も、時代も、立場も違う人たちが一斉に集まるような場所では、必要なスキルを身につけ暗黙のコードを理解するのにそれなりのつまずきが伴うはずで、やはり自分も、そのときどきでいちいちつまずいてきました。

そういうスキルとコードの欠落は、文章にするとごくごくつまらないことです。

たとえば、盆と正月の帰省で親戚まわりを欠かさない人が、友人の悩み相談のときに相手の話をさえぎって自論を滔々と展開してしまうとか(基本的に、ただただ聞くべきです)、フレンドの誕生日におめでとういいねを欠かさない人が、同僚のホームパーティに手土産も持たずにやってくるとか(無償の好意を前提にしていても、基本的に、なんらかの「形」でお礼を表現すべきです)、たかがそんなことではあるんです。

僕が自分のことを棚に上げて偉そうなことを言えるのは、このつまらない欠落が、しかし自分ではなかなか気づけないからです。そして気づけないでいるうちに、つまずいてしまう。

自分を表現することからはじまる成長のサイクルがうまくいかないときは、自分が属する社会に必要なスキルや知っておくべきコードが欠落している可能性に思いを巡らせてみるといいかもしれません。もし、自分にうるさいことを言ってくる人がいたとしたら、それは幸運です。遠ざけずに、敬いましょう。

というのはだいぶ後になってわかったことで、20歳の自分はまさにそのつまづきの真っ最中。自意識過剰のクリエイター気取りで、社会性が欠落した嫌なやつでした。だったような気がします。いや、やっぱり確実にそうだったですね。

よく覚えている光景があります。

同級生が100人以上も着席している講堂のなか、僕は最前列中央に座っている。後ろを振り向けば、見知った顔がいくつもあるのに、そのなかの誰とも心を通わせることができない。一緒に座ってくれる人も、講義を休んだときにあとからノートを見せてくれる人も、突如の休講をメールで知らせてくれる人もいない。最後列の席では、男女数人からなるグループが、注意されないくらいの慎みをもってしかし楽しそうにおしゃべりに興じている。だから僕は、先生の話を聞き逃さないように、あるいは、そうしたものを目にしなくても済むように、余計に前の方に座ろうとする。

と、あまり心楽しい思い出ではないんだけれど、そうやって真剣に受けていた講義のなかに、いまだ忘れ得ないものがあります。

内容は、たぶん発達心理学かな。臨床心理士であり現役の歯科医師であるという、ちょっと変わった経歴をもった外部講師でした。見た目は、当時40代かぎりぎり50歳かといったところ。名前を仮に、オジオン先生としておきます。

オジオン先生は、ちょっと変わった人で、いつもなんらかのポップカルチャーを鑑賞させることから講義をはじめていました。あるときは、講堂にステレオを持ち込んで、清志郎の「僕の好きな先生」を流し、みんなで歌詞カードを読みながらそれを聞いたりしてね。どこの大学にも何人かはいますでしょ。そういう人です。

そのなかのある講義で、オジオン先生は、自分が出会った「影」の話を語りだしました。

「コンサートの最中のことです。ドームの天井を覆うように、黒い雲のような生き物がゆっくりと蠢いていたんです。私はそれをスタンド席から見ている。しかしまわりの誰も、私以外には、その影に気づくものはいない。私はコンサートのことも忘れて、いつまでたっても消えないそれを見つめ続けるうちに、突然、それがなにかわかりました。それは、私の“影”でした」

この分野にお詳しい方ならすでにお察しの通り、これはフロイトやユングらによる抑圧された無意識の話です。

不勉強なので深入りした説明はできませんが、「抑圧」というのは精神分析の用語で、「自我を脅かす願望や衝動を意識から締め出して意識下に押し留めることであり、意識されないままそれらを保持している状態である(ウィキペディア)」などと説明されるようです。

その抑圧された無意識が、実体をともなった「影」として目の前に現れた、という話なんですね。抑圧された無意識について誰かと話すことなんて普通はありませんから、実際のところはわかりませんが、それを実体として見た、もしくは、見たとリアルに感じた、という話は非常に珍しいと思います。すくなくとも僕の身の回りには、ケサランパサランを目撃した人のほうが多いですし、実際、自分の「影」と出会ったなんて話は小説のなかでしか読んだことがありません。

そう思って聞いていると、オジオン先生が講堂を見渡してたずねました。

「このなかで、『ゲド戦記』を読んだことのある人はいますか?」

それはまさに、自らの影との戦いを描いた小説のことです。そのとき僕は、迷わずさっと手をあげたような気がします。あるいは、周囲の視線が気になっておずおずと手をあげたんだったかな。まあどちらにせよ僕は手をあげ、他には誰も手をあげなかった。それはなぜか、僕を誇らしい気持ちにさせました。いつもひとりで最前列中央に座っている僕と、僕の好きな先生〜♪(唄:忌野清志郎)との間に、絆が生まれた瞬間です。ちなみに、ここまで説明を引っ張ってしまいましたが、オジオンというのは小説の主人公・ゲドのお師匠さんの名前です。

さてその『ゲド戦記』というのは、フロイトやユングらの研究の影響下で書かれたファンタジー小説で、その第1巻は「影との統合」がテーマになっています(ちなみに、第2巻では「異性との統合」が、第3巻では「死との統合」がテーマになっています)。
小説のなかでゲドは、若き過ちから生み落としてしまった自らの影に脅かされます。最初のうち、その影から逃げ続けるゲドですが、やがて立場を変え、世界の果てまで影を追い詰め、それを退けるのでも打ち破るのでもなく、影と一体化する、つまり統合することで決着をつけます。

オジオン先生が見たのはドームを覆うような巨大な影ですから、おそらくとんでもない無意識の抑圧があったんだろうなと聞き手の僕は勝手に想像するわけですが、それについては特に語られませんでした。ただいずれにしろ、そのようにして人生のどこかの時点で影と向き合って統合を果たしたのだと、そんなような話でした。

でも、当時の僕はといえば、影との統合なんて望むべくもない若造でしたから、おもしろい話だなとは思いながら、もっともっと幼稚なことで悩んでいたんです。それは、母からの期待です。

学期末。すべての講義が終わった後、オジオン先生は僕たちにレポートを要求しました。テーマがなんだったか今となって思い出せないし、なんと書いたのかも忘れてしまいましたが、それに対するオジオン先生の手書きのコメントの内容はおぼえています。

母からの期待に生きてはいけない。それは他人の人生を生きることです。あなたはあなたの人生を生きなさい

言葉は短く、衝撃は大きかった。
そうか!
それでいいのか!!
そうすべきだったんだ!!!

レポートになんと書いたのか忘れたといいましたが、まあおそらくは、家業を継いで欲しいという期待だとか、公務員になって地元に戻って欲しいという期待だとか、そういった母からの期待にできることなら応えてあげたいという気持ちがありつつも、それが自分の望む人生ではないという思いに折り合いをつけられず、その悩みをオジオン先生に吐露したんだと思います。

そうした孝の気持ちを否定され、衝撃を受けつつも、僕はすぐ、しかも完全に納得しました。なぜなら僕には「超個人主義」があったから。

自分という存在は、他者との関わりの集合体です。ということは、他人という存在もやはり、(自分を含む)他者との関わりの集合体であるわけで、そうであるならば、誰かが代わりに自分の人生を生きることはできないし、また同時に、誰もが他人の人生の一部になることができます。

パラフレーズしましょう。

誰かの期待に応えようとして自分の人生を放棄してはいけないのはもちろん、誰かの期待への過剰な対応によって他人の人生を生きようとしてしまうことも、またよくありません。それは、他人にその人生を放棄させることにつながってしまうからです。自分は、他人の「1/無限(むげんぶんのいち)」になることしかできないけれど、しかしそれは喜ぶべきワン・オブ・ゼムだというわけです。

そのとき得た理解が、僕を、GCUや砂場といった幼き世界から羽ばたくきっかけを与えてくれました。

そうか、みんな他人なんだ。僕と母も、血のつながった家族とはいえ、やはり他人なんだ。他人でいいんだ。むしろ、他人だからこそ、お互いがお互いの人生を生き、そのことによって他人であるお互いの人生の一部としても生きることができるんだ。

オジオン先生がそういう意味で言っていたのかどうか、今となってはわかりませんが、僕はそのように理解し、以後、そのように思ってきました。連れ添っている愛妻も、1歳8ヶ月になる愛息も、こうした認識のもとではやはり他人です。でも他人だからこそ、私は彼らの、彼らは私の、欠かせない人生の一部であり、かけがえのないファミリーです。

おっと、ちょっと勢いづいて余計なビブラートまで効かせちゃったみたいです。えらいすんません。

さて。母をも他人だと思い、母の庇護から離れて自立した羽ばたきをしようとする頃、母の代わりとなって脆弱な自意識を守護してくれたのは、女性でした。

ここでひとつ提案があります。そういうときにそういう役割を果たす女性に、「彼女」でも「恋人」でも「妻」でもない名前があると便利だと思うんです。「お前の竹馬の友ってだれなの?」みたいに、その役割を正確に表して人にたずねられるものとして。

私の提案は「妣の化身(ひのけしん)」です。

この「妣」という漢字は亡き母という意味ですが、「妣の化身」と呼ぶときの元ネタは、大塚英志の『魍魎選挙MADARAシリーズ』にあります。
この作品における妣の化身というのは、前世で主人公のマダラを産んだ母であり、現世では彼を守護する者でありながら永遠に結ばれない恋人であり、来世ではマダラを産むことを約束された存在です。そうした妣の化身の役割を負ったキャラクターが、関連するシリーズ作品に繰り返し登場することから、母の庇護から離れた男性を守護する女性をここでは「妣の化身(ひのけしん)」と呼びたいと思います。

なぜわざわざそのときの自分を守護してくれる女性に「妣の化身」という彼女とは違う特別な名前が必要なのか。それは、最初の羽ばたきに「勇気」を与えてくれる、一度きりの特別な存在だからです。

勇気という言葉を、僕は前回の記事で二度使いました。

17歳の僕は「表現し、還元され、成長する」というマントラを繰り返し唱えます。

他者との関わりを変えるためには、自分を表現するしかない。自分がどうありたいのか、勇気をもってさらけだせよと。それが実行されれば、関わりに変化が生まれ、自分に跳ね返ってくる。それが還元。さすれば汝成長せん、というわけです。つまり自分を変えられるってこと。

自分は何者でもないが、同時に、あらゆる他者に影響され得るという意味で、過去とも辺境とも同時に接続された全き者なんだと気付いたときの希望たるや、最高の気分でした。
同時に、その可能性を引き出すために必要なのは、表現という働きかけをする勇気ひとつだというわけです。表現には、才能も財産も関係ないわけで、誰もが等しく実行できる具体的な手段です。これもまた希望ですよね。

自分で自分を変えていく自立的成長のサイクルに突入するには、表現という働きかけがその第一歩になる、というのが前回の主張です。でもそのためには、まだ幼く醜い自分をも愛してくれる存在が必要です。蝋で固めた翼が溶けて地面に墜落してしまっても、それを嘲笑せずに励まし、勇気づけ、守護してくれる母に代わる女性が。

僕は男性なので、こういうとき女性ならどうなのかってことは、想像できません。それについて誰かと話したこともありません。同じことが言えるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。誰かに意見を聞いてみたいところです。

そのタイミングで運よく妣の化身に出会えた僕は、家業を継ぐのでもなく、公務員になって地元に戻るのでもなく、自分の望む人生を生きるために、職のあてもないのに段ボール三箱きりで東京に飛び出してくることができ、いまもどうにかこうにかやっています。

そのときの翼は、まだ溶けずに僕の背中に生えています。

(つづく。次回、人生に「目標設定」は必要なのか?)

1997年9月17日のナバーナ - 「佐々木さん、人って変われると思いますか?」と言われて考えたこと(1)

カテゴリ:
さて、どこから書こうかな。

僕が定刻に居酒屋に着くと、先に来て待っていた友人がこう切り出しました。「佐々木さん、人って変われると思いますか?」と、いきなりです。

その友人には個人的な事情があって、それはあとから聞かされることになるんだけど、ここでは何も書きません。だから、これを読んでくれているみなさんも、この瞬間の僕と同じように、ぽんと机上に乗せられた大命題と純粋に差し向かいになって考えてみてください。人は変われるのか?

僕は、ちょっと考えて、言葉を選んだつもりで、こう答えました。

人は、変わらない思います。でも、自分は変わってきました

文字面だけ追うならば、一行ですでに矛盾してしまっています。おかしな言い回しだよなと自分でも思うし、もちろん、友人がそれで膝を打ってくれるということもありませんでした。でもそれは、その場しのぎのでまかせなんかじゃなく、確かなことだと思って言ったものです。

すぐに最初の一杯が出てきてたのでそこから先は友人の相談を聞く番になり、やがてふたりとも酔っ払い、その答えについてさらに突っ込んで語り合う機会はありませんでした。でも、いまあらためて同じ答えを言い換えてみるならば、こうします。

他者に変化を強いることはできない。でも、自分を変えることはできる

もう一言だけ加えるならこう。

与えられたものは交換不可能だけど、それをどう使うかは選択できる

僕はこのことに強い確信をもっているんだけど、すでに書いているように、それを語ったところで他者に変化を強いることはできないと思っているので、友人の話をさえぎってまでくどくどとそんな補足をしようとは思わなかったんです。
その友人にしたって、自分が変わりたくて聞いたのか、誰かに変わってもらいたくて聞いたのか、いいやその実なにも変わりゃしないんだってことを確かめたくて聞いたのかわからなかったし、そのときは深追いするような話じゃないと思ったんです。

でもそれからの一週間、「人って変われると思いますか?」という問いが自分の中に沈殿して、澱のように漂い続けました。自分が答えた「人は、変わらないと思います。でも、自分は変わってきました」ってどういうことなんだっけ。なんでそのときの自分はそう答えたんだっけ、と。僕はそのボトルを飲み干して底にある澱を取り除かずにはいられなかった、というわけです。

だからこの先の文章は、そのときの問いによりよく答えるための誰に宛てたわけでもない長いモノローグです。ブログでなら、他者に変化を強いることなく思っていることが自然に書けるかもしれない、そう思って。


1997年9月17日のナバーナ


このとき僕は高校三年生で、その日のことは今でもよく覚えています。

朝、目がさめると、悟りを得ていました。

人間とは何か、人生とは何か、生きているとはなんと素晴らしいことか、ということが、一切の思考的プロセス抜きに、突然、すべてわかったんです。NHKで見たドキュメントによれば、アンドリュー・ワイルズがフェルマーの最終定理を解いたときがそんな感じだったらしいですよ。エレガント、エレガント言ってました。よく知りませんけど。

で、もちろんそれは、すでに過去の誰かが発見済みの真理ではあったんだろうけど(これはその後の20年の読書人生の中で何度も確かめられました)、そのときの僕にとっては、自分に手による大発見のように思えたし、瞬間的に真理に到達できたという「悟り」としかいいようのない感動体験に、全身が痺れるような思いがして、文字通り、そのときから世界が変わって見えました。

その直後、自分がやったのは、漫画を描くとことでした。

その真理について、自分ではよくわかっているんだけど、誰かに説明するには言葉にしなければならないわけですからね。でも、冷静になって論理的な文章を書くには興奮しすぎていたので、勢いにまかせて、そのときまで一度も描いたこともない漫画という手法を使って、そのとき悟った真理を言葉に移し替えていこうとしたわけです。

そのときの作品に書かれてある日付が、1997年9月17日。今回、この記事を書くにあたって久しぶりにその漫画を引っ張り出してきたので確かです。よくまあ今まで大事に保管してたなと我ながら思いますが、それだけ忘れがたい、特別な出来事だったんです。

というわけで、これがそのとき描いたものの一部です。どうぞご笑覧ください。


この漫画、タイトルは『死んで飛ぶ鳥』といいますが、ここで何を言っているか、説明します。

まず冒頭で、人には純粋なオリジナリティや個性なんてものは存在しないんだと、17歳の僕が主張します。自分という存在は、他者との関わりのなかに生まれる結び目がかろうじて作っているあやふやな輪郭でしかない、という話です。

しかしそれは、自分という存在の限界ではなく、むしろ無限の可能性を示しているのだと、個にして全なのだと、宇宙なのだと、17歳の僕は強く強く主張します。それがちょうど上に掲載したページで、このあたりもう、気持ちよくなっちゃってきてますね。

はい。それでつまり、自分という存在は他者との関わりなかにこそあるのだから、自分を変えるには、他者との関わりを変えるしかない、という方向へ話が進んでいきます。
他者そのものを変えてしまうことはできません。他者を(たとえば家族を)選び直すことも困難で、普通の手段ではなかなかできません。当然ですね。だから変えるべきなのは、他者との関わりです。

その方法として17歳の僕は「表現し、還元され、成長する」というマントラを繰り返し唱えます。

他者との関わりを変えるためには、自分を表現するしかない。自分がどうありたいのか、勇気をもってさらけだせよと。それが実行されれば、関わりに変化が生まれ、自分に跳ね返ってくる。それが還元。さすれば汝成長せん、というわけです。つまり自分を変えられるってこと。

その「表現し、還元され、成長する」というサイクルによって、人は表現し続ける限り望んだ自分に変わることができるのだという人間讃歌を歌い上げていくと、そういう漫画です。いやー、怖いもの知らずでした。

このときの気分は、今でも本当によくおぼえています。
自分は何者でもないが、同時に、あらゆる他者に影響され得るという意味で、過去とも辺境とも同時に接続された全き者なんだという相互依存的な世界観を理解したときの希望たるや、最高の気分でした。
同時に、その可能性を引き出すために必要なのは、表現という働きかけをする勇気ひとつだというわけです。表現には、才能も財産も関係ないわけで、誰もが等しく実行できる具体的な手段です。これもまた希望ですよね。

だから人生って楽しいぜ、人間って素晴らしいぜ、という大発見を伝えたくて描き終えたばかりの漫画を読ませに自転車漕ぎ漕ぎ同級生の家を訪ねました。おそらく、僕のテンションが異様に高かったろうことは想像に難くないので、そのときに理解してもらえるように伝えられたとは思いませんが、まあ伝わっても伝わってなくても、そのときのひとりとは今でもつきあいが続く親友となり、また別のもうひとりとは、だいぶあとになって一緒に暮らすようになりました。妻です。

まあそのあたりの話はちょっと置いておくとして、こうした考え方の元になった世界観について、自信を深めた文献がありました。3世紀に編まれた経典『華厳経』で、そこに書かれてあるという「インドラの網」というのがまさに「他者との関わりのなかに生まれる結び目がかろうじて作っているあやふやな輪郭」とか「個にして全」を表現したものでした。
私がその話を知ったのは天沢退二郎さんによる宮沢賢治研究の本のどれかだったと思うのですが、それに該当する部分を見つけることができなかったので、それとは別の方、野村哲也さんの本から一節を引かせていただきます。


バルデスの話を聞きながら,僕は宮沢賢治の「インドラの網」という童話を思い出していた.華厳経に説かれるインドラの網は,インドの勇猛な神「帝釈天」の宮殿にかけられた,巨大な球状の網のこと.その結び目には,美しい水晶の宝珠が縫い込まれ,全体が宇宙そのものを表現しているとされる.また宝珠の一つひとつが他の一切の宝珠を映し込んでいることから,ひとつの宝珠に宇宙のすべてが収まっている,というようにも考える.

カラー版・世界の四大花園を行く―砂漠が生み出す奇跡』(野村哲也)

ちなみに、この一節を探すにあたり、『宮沢賢治と早田文蔵:華厳経の「インドラの網」と高次元分類ネットワークとの関係』という記事を参照させていただきました。我が身にのみひきつけて物申す勝手な紹介の仕方で恐縮ですが、私の戯言を補強してくれる内容でしたので、ここに紹介させていただきます。

インドラの網のことを知ったのは、この漫画を描いた数年後だったと思いますが、1800年以上も前に同じようなことを考えた人間と通じ合えた気がしてめちゃくちゃ興奮しましたね。君とはいい友達になれそうだ! とかなんとか思ったような気がします。

このときに授かった霊感は、長い間にわたって僕を励ましてくれました。それは冒頭に書いた「他者に変化を強いることはできない。でも、自分を変えることはできる」や「与えられたものは交換不可能だけど、それをどう使うかは選択できる」というスタンスにも地続きになっていて、実に20年近く経ってもまだ有効期限が切れていない。むしろまだまだいけるんじゃないかという気にすらなっています。

さて、すでにだいぶ長くなってしまいました。ここで書き終えてしまっても誰が困るわけでもないのですが、もともとがモノローグと断っているブログですから、まだ少しだけ続けます。あのときに自分は変わったなと思った瞬間が他にもあって、それにまつわる感動を書きつけておきたい気分なので。

(つづく)

このページのトップヘ

見出し画像
×