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教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書

大塚英志がほかのまんが評論家と違うのは、例えばこんなところにあらわれる。

漫画(この場合は“まんが”ではなく)に映画的表現を最初に取り入れたのは巷間に言われるように手塚治虫ではない、というのは最近のまんが研究で明らかになった常識らしいんだけど、それでも大塚英志は手塚治虫の映画的表現に拘泥する。なぜか。誰によって映画的表現が最初に発明されたかではなく、なぜ手塚治虫が映画的表現を必要としなければならなかったか、ということに真正面から向き合っているからだ。細部には逃げない。

戦前戦後の混乱期に散逸したまんがを資料的に研究・批判することは大変な労力を要することなんだろうし、細部を穿つような物の見方の必要性もわかるけれど、そこに本質的な視座がなければ、どんな評論も意味がないのではないか。そんなことを考えさせられた。

この『教養としての〈まんが・アニメ〉』は、語られるトピック自体はちっとも斬新ではないのに、通読したときに戦後の日本の姿とそれに対する批評的精神が貫かれていて、なんだかとっても新しい感じ。すげえわかりやすいし。
まんが評論ってこんなだったっけ?
だなんていうまんが評論に対する偏見にも著者は戦いを挑んでいるわけなんだけど。

僕が最初に読んだ漫画評論というと、つげ義春の作品をセリフやコマで極限まで解体して意味を問うというものだったけど、それとは正反対のダイナミズムがこの本にはある。

教養としての〈まんが・アニメ〉 講談社現代新書
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考えるヒット

近田春夫の『考えるヒット』がワゴンで100円だったから買って夕飯作りながら読んだ。この連載がはじまったのって小室全盛期のときだったのね。自分はそのとき高校生だったから今でもよく覚えてる。ひどい時代だったような気がするけど、いい曲もわるい曲も、買ったCDも買わなかったCDも、この時代のものはたいてい記憶してる。なつかしい。

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ターザン山本の『音楽と意図』は特におもしろい。

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美女と野球最近文庫になったばかりということで買って読んだ。読むのに時間がかかったけど、「俺でゴメンね……」「アミーゴたちと走った日々」が特におもしろかった。

こんなオッサンが上司だったらおもしろいだろーなーとか思ったけど、考えてみたらそれほど遠くないや。

美女と野球

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 帰り道にある古本屋の100円ワゴンはやけに回転が早い。
 スルーすると損をしそうでいつも寄り道してしまう。

 例えばある日、カート・ヴォネガットの『青ひげ』のハードカバーを見つけた。100円なら買いだ。その数日後、同じくカート・ヴォネガットの『デッドアイ・ディック』が同じワゴンに置いてあった。これまた100円。
 そして今日、雨だから早く帰りたかったけど掘り出し物を逃しては悔しいと思ってのぞいてみたら、あった。『パームサンデー 自伝的コラージュ』。くどいけど100円。

 この近所には、ヴォネガットを一冊ずつバラ売りにする奇特な人がいるんだろうか? それともお店が小出しにしてるとか?
 まあとにかく、これが偶然でなかったとしたら、あと2冊は出てくるような気がする。これでまたしばらくは頼光じゃなく寄り道が続くことになりそう(つってもワゴンをながめるのなんて5分くらいなもんだけど)。

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