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釣影 つりかげ

前の会社でお世話になったボンソワールさんに「おすすめの本はないんすか、教えてくれたらいいじゃない」とか言われてとっさに名前が出てきたのが“山本素石”という釣り人。
現在すべての作品が絶版になっているのでその意味では不適当なチョイスだったんですが、本当に素晴らしい作家なのでこの機会にぜひファンを広めたいと思って紹介しました。

山本素石を知ったのは上京してフリーターをしていた頃で、杉並区の図書館に入り浸ってお金をつかわずヒマをつぶしているときに見つけました。ちなみにそのときの本は『釣り山河』。今でもたぶん置いているんじゃないかな。

一冊読んですっかり心を奪われた私は、神保町を半日歩き回ったり(その日の収穫は1冊)、ヤフオクで落札したり、Amazonのマーケットプレイスで購入したり(これがもっとも効率がいい)、苦労しながら買い集め、いつか「この人の本がすべて絶版だなんて出版界の不幸だ!」とか大げさに考えるようになって、山本素石の選集の出版を企画したいなあなどと空想していました。

そんなわけで誰かと山本素石のよさをわかちあえたらいいだろうなと思いつづけて数年。今回ついにボンオソワールさんが読んでくれたというわけです。感激。

山本素石『つりかげ』(名曲喫茶)

内容は、ひとことで言えば、戦前・戦後の混乱期を、絵付けなどをしながら関西方面の渓流を釣り歩いた著者の半生記である。これが、山本氏独特のシニカルでへそ曲がりな視点で綴られる。
それは、この本の裏テーマである、秋本某という女性とのあれこれを描くときにも一貫していて、決して描写が甘くない。感傷的ではないのだ。

山本素石が山釣りにもっとも精を出したのは、敗戦の混乱、そして高度経済成長のまっただなか。その当時の山には、林業や炭焼きで生計を立てる男たちの活気が満ちていて、山の中で雨に降り込められても、釣魚をぶらさげて炭焼き小屋にいけば、マムシ酒と焚き火と一晩の宿にあずかれたというそんな時代のこと。

男たちが集まって深い闇のなか火を囲めば、それはもう猥談で盛り上がるしかない。当時はまだ健在だった“夜ばい”の経験者の武勇伝を肴に、酒盛りはいつまでも続く…といってもそんな話は全体のごくごく一部だけど、おもしろいんだなあこれが。

さて、なぜ山本素石は釣りにのめり込んだのか。

時代は、世の中がディスカバージャパンだなんだと言い出すよりずっと以前のことで、都会に出たがる人はいてもわざわざ田舎に出たがる人なんて多くはなかった(はず)。
そんなときにわざわざ山のなかに分け入っていくのは、単純に言って現実逃避なわけです。そしてその深い山のなかで孤独を玩ぶ男のかなしさ、おかしさが、なんともいえない味わいになっています。

本書のなかに、特別に印象的なシーンがあります。

釣りなどできようはずもない冬に、雪深く沈んだ(文字通り沈んだ)廃村にただひとりで泊まり、家に残してきた脳性麻痺の娘のことを想うというのがそれ。実はそのとき、山本素石は断とうにも断てない不倫の真っ最中にいて、その業の深さと孤独な廃村のイメージが重なって、なんともいえない感傷を呼び起こすシーンになっています。

そんな時代を経て山本素石がエッセイを発表し出すのは、マイカー族が地方の優良な釣り場を荒らして回った、つまりディスカバージャパンの時代になってから。そのときになって、釣りと不倫にのめり込んだ時代を一冊の本にまとめたのが、『釣影』という作品です(後に文庫化されたときは『つりかげ』というタイトルになりました)。

この本は、田山花袋、島崎藤村らの流れを汲む(しかし登場が遅すぎた)自然主義文学の傑作だと思います。安易に田舎気分を味わいたいからといってこの本を読むと大怪我をする、そんな本です。

Amazonのマーケットプレイスや、古本屋を丹念にチェックすればまだみつかるはず。あと、図書館をいくつかめぐれば、おそらく見つかるのではないかと思います。

あと、「復刊ドットコム」のリクエスト投票もしていますので、ご興味ある方はぜひご協力ください!

関連本

山本素石の全集も発表されています。
これには『釣影』が収録されていませんが、雰囲気は充分味わえます。

山釣り放浪記山釣り夜話山釣り万華鏡

ちなみに、山本素石は一般的にはツチノコの人ということで知られています。ツチノコがこれだけ有名になったのは氏の功績(?)とのこと。

完本・逃げろツチノコ