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公文俊平氏の『情報社会のいま』を読みつつ、気になるところをに折り目をつけていったので、それを振り返って考えたことのメモを書き残してみます。


情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ
著者:公文 俊平
販売元:エヌティティ出版
(2011-05-09)
販売元:Amazon.co.jp
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ちなみに私は、この本とテーマを同じくする公文氏の講演を2回聞いたことがあり、前著の『情報社会学序説』も読んでいるので、大筋のところを理解した状態で読み始めました。なので、以下のメモはこれから初めて公文氏の主張を知る人にとっては不親切かもしれません。でも、要約できるような内容じゃないので、そこは割りきってメモに徹します。


というわけで本記事のもくじ。

・『第三の波』との違い
・「機会開発者」というコンセプト
・宇宙の進化!!!
・ソーシャルアニマルが政府・医療・教育・マスメディアを救う
・WikiLeaksと海賊党
・日本の豊かさ
・新しい世代の「大きな物語」ってなんだろう


というわけで以下どうぞ。


『第三の波』との違い


まずは、トフラーの『第三の波』との違いから。

トフラーは、農業革命と産業革命という二つの大きな技術革命の後、1970年代以降技術革命の“第三の波”が到来して人類社会は“脱産業社会”になると主張して大きな反響を巻き起こしました。(中略)

私はトフラーの考えに強く惹かれはしましたが、第一の波と第二の波の間には1万年単位の時間が経過しているのに、第二の波と第三の波との間隔はたかだか200年、いやそれどころか第三の波は第二の波が進行中にところにそれに覆い被さる形で到来しているという見方には疑問を覚えざるを得ませんでした。

そこで私は、トフラーのいう“第三の波”は、近代文明のなかでの二つの技術革命、すなわち“軍事革命”と“産業革命”に続く第三の技術革命であるにすぎず、これを過去の“農業革命”と並べるのは不適切だと考えました。

そこからまた、トフラーのいう“脱産業社会”も。実は“近代社会”そのものの一局面であって、それをそのまま“脱近代社会”とみなすのは不適切ではないかという見方も、併せてもつようになったのです。(p18)


本書の冒頭部分で述べられるこの部分が、公文氏の研究の立脚点をもっとも端的に示しているように思います。

つまり、『第三の波』で書かれた社会というのは、実は「脱近代社会(ポストモダン)」ではなく、「近代の最後(ラストモダン)」にすぎない、という主張です。そして私たちは今、ラストモダンの成熟局面とポストモダンの出現局面に立ち会っている、という捉え方です。


情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる    NTT出版ライブラリーレゾナント001情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる NTT出版ライブラリーレゾナント001
著者:公文 俊平
販売元:NTT出版
(2004-10)
販売元:Amazon.co.jp
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2004年の『情報社会学序説』のサブタイトルも、「ラストモダンの時代を生きる」となっていて、この認識を押さえておくと、冒頭から続く小難しい(ような)話もすっと頭に入ってくるような気がします。


「機会開発者」というコンセプト


公文氏が参考にした先人の研究を紹介する部分。

増田さんが産業社会での“消費者”に代わる情報社会での新しい人間像として提示したのが“機会開発者”でしが、それは「未来の新しい機会を想像的に開発していく人」、すなわち「可能性をはらんだ未来を開拓していく知的辺境の開拓者」だというイメージで語られていました。(p20)


ここで語られている増田さんの主張というのは、おそらくこの『機会開発者―21世紀情報社会の生活者像』という本のことだと思います。

まだ未読なんですが、「機会開発者」というコンセプトにぐっときました。

このコンセプトが発表された80年代当時にどれくらい理解されたのかはわかりませんが、今は「ソーシャルメディア」が普及し「セレンディピティ」が流行語になるような時代なので、「機会開発者」というコンセプトにはピンとくる人も増えていると思います。振り返ってみると、自分がふだん労力をかけてやっていることって、消費活動ではなく、機会開発活動ですしね

ちなみに、公文氏の「情報社会論の偉大な先達 - ネットワーク社会学」というドキュメントがあり、そこでも増田氏についてふれてあったのでリンクしておきます。


宇宙の進化!!!


ちょっと脱線します。

クリップボード_kmn02
(p45)

本書で取り上げられるS字波の理論をもっとも壮大に飛躍させた説として紹介されているのが、レイ・カーツワイルの人類の進化。人類はいまエポック4にいて、これからエポック5やエポック6に進化してやがて宇宙と一体化するというそういう話です。なんぞこれ! 熱すぎる!!!


ポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるときポスト・ヒューマン誕生―コンピュータが人類の知性を超えるとき
著者:レイ・カーツワイル
販売元:日本放送出版協会
(2007-01)
販売元:Amazon.co.jp
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本書の内容とは脱線しますが、学研の『ムー』を購読(笑)している個人的に刺さりまくったので、本を買って掘り下げてみようと思います(繰り返しますがここは余談です。本書の内容とはあまり関係ありません)。


ソーシャルアニマルが政府・医療・教育・マスメディアを救う


第3章「ソーシャル化のいま」の冒頭に、刺激的な一節がありました。

資本主義的な商品交換が支配的な社会関係となる産業社会では、その他のあらゆる社会関係のなかに“競争”的な商品交換が浸透していきます。政治は“金権政治”となり、医療は“仁術”から“算術”になり、“聖職者”が担当するはずだった教育も“資本の論理”を重視する学校経営者とその管理下におかれる教育労働者によって提供される“産業”になっていきます。(中略)

しかも、第三次産業革命が突破局面に入りつつある“産業社会の現在”の著しい特徴は、政府が財政的にも破綻しつつあるだけでなく、産業化した医療や教育(とりわけ高等教育)も、さらにいえば第一次産業革命の時代からいち早く産業化していたマスメディアも、いっせいに財政破綻しつつあるところにあります。

これらの破綻は、産業化のいっそうの推進という観点から“ICT(情報通信技術)”の活用を進めるだけでは回避できないでしょう。なぜならそのような破綻は、社会の本来の意味での情報化と密接に関連していると考えられるからです。つまり、破綻に瀕している政府や産業の再生にとっては、何よりも、第三次産業革命と並行して進んでいる第一次情報革命への適応が(中略)必要不可欠なのです。

破綻しつつある政府・医療・教育・マスメディアの復活のヒントというか、励ましのようなメッセージだなと思いました。だいぶ熱い。情報社会の価値観で眺め直してみると、もうダメなんじゃないかと思っていたものにも希望が見える、という意味で。

ちなみに、「なぜならそのような破綻は、社会の本来の意味での情報化と密接に関連している」というテーゼをここで解題することのはちょっと大変なので、パスします。

エコノミックアニマルからソーシャルアニマルとして世界を生きる私たちが、その価値観によって旧世界を滅ぼし、新世界秩序を打ち立てるという、まるで漫画で読んだような展開が、わりとリアルに感じられるということに、興奮を禁じえません。


WikiLeaksと海賊党


公文氏は、こんなアナーキーなことも言っています。

そのような観点からいえば、実は現在のインターネットは、智民のための十分に自由で分散的で開かれたコミュニケーション・システムとはいえません。(中略)
智民が政治をリードしようとする“智民革命”運動が今度より強力に展開していくためには、ウィキリークスのような試みは、たとえばスウェーデンの“海賊党”のような既存の知的財産権の制度に真っ向から挑戦する政治戦力と連携していく必要があります。同時に、現在のインターネットの構造自体も、より分散的で開かれたものに転換していかなくてはならないでしょう。(p153)

BLOGOSとかで政治に物申したり、Open&Shareがコアバリューとなっている弊社ですが、ここまでは考えてなかったような気がします。善悪というなんとなくの価値観で、発想に蓋をしていたことに気づいてハッとしました。悪を為すことを恐れては未来の社会を考える資格はないなと、思い直しました。


日本の豊かさ


最終章には、これからの日本の豊かさについての新しい価値観が、さまざまな人の言葉を引用しながら述べられています。以下は東浩紀氏が朝生で語った言葉。

日本は不幸不幸というけれど、先行世代が作ったインフラで、お金があまりなくても楽しく生きられるという面もある。それをポジティブに捉え直して、今後のことを考えよう。また、クールジャパンとか、トヨタとか巨大企業に比べれば生み出すお金は少ないけど、文化的な価値とかシンボルは大切で、むしろそういうものを大切にすることで人は幸せになっていく。日本も文化的なものでヨーロッパみたいな自信を持つべきだ。(批評家・作家の東浩紀さん)(p189)

大前研一氏のような経済人に言わせると、「日本がポルトガルのような三流国になってもいいのか!」という警鐘になるのですが、それとは全然違ったポジティブな見方であり、若い世代の実感に近い見方だと思います。


新しい世代の「大きな物語」ってなんだろう


公文氏の講演を初めてきいたときから、考え続けている問いがあります。それは、新しい世代の「大きな物語」ってなんだろう? というもの。

大きな物語 - はてなキーワード

マスターナラティブ。神、ユートピア、イデオロギー等、皆がそれに巻き込まれており、その価値観を共有していると信じるに足る筋書きを提供してくれるもの。

これにより個人や全体の行動・思考を方向付けられ、人はこのもとで、無意識のうちに自分の行動を正当化している。

ポストモダン論によって使用された言葉。大きな物語の崩壊によりポストモダンと呼ばれる社会構造が生まれたとされる。

よい例えが浮かばないんですが、例えばアメリカンドリームのように、働いてお金持ちになれば幸せになれる、というようなみんなが信じるに足る価値観とは、どんなものなんだろうかということを考え続けています。もしかして、「そんなものはない」というのが答えかもしれないんだけど。

ただ、「大きな物語」そのままだと難しいので、それを一段階ブレークダウンして「新しい世代の英雄や悪役はどんな存在だろう? 」ということをよく考えています。

グローバル化に先鞭をつけた坂本龍馬も、ヒーロー像としては時代遅れになりつつあるなかで、人は誰に憧れで、誰を憎むんだろう。そしてこれって文学の役割だようなあ、と思ったり。

これについてはもうちょっと考えるヒントがあるのですが、別の本からもらったヒントなので、別の記事で書きます。
といわけで長々と書きましたが、本書はお薦めです。


情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ情報社会のいま ―あたらしい智民たちへ
著者:公文 俊平
販売元:エヌティティ出版
(2011-05-09)
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【書評】『情報社会のいま あたらしい智民たちへ』(公文 俊平・著)ほか