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古川日出男の『アラビアの夜の種族』。やっと読んだ。
いやー、これは、これはすごい本だった。

アラビアの夜の種族 (文芸シリーズ)アラビアの夜の種族 (文芸シリーズ)
著者:古川 日出男
販売元:角川書店
(2001-12)
販売元:Amazon.co.jp
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2段組で700ページを超すボリュームの本を一気読みしたのは、井上ひさしの『吉里吉里人』以来かもしれない。といって『吉里吉里人』を例に出したのはなにも本の体裁が似ていたからってだけではなくて、日本語と自由自在に戯れる高度な文章技術と、メタ的な物語展開に、なんとなく近いものを感じたから、ってのがあります。お話としては似ても似つかないけれど、『吉里吉里人』を既読の人には、ああいった方向性をもった、ああいう水準の作品であるとご理解いただいてよろしいと思います。

とにかく、この本を読むにあたっては、事前に詳しい知識を仕入れるのは厳禁です。

最後の1ページまで読み終えて、「どういうことだろう?」と疑問に思ってこの本のタイトルをネットなりなんなりで調べてみて初めて、そこで最後のどんでん返しがわかる、といった仕掛けが内蔵されていますので、作品に閉じ込められた旨みを最後の一滴まで味わいたいという人は、検索も何もせず黙ってお買い求めください。読み始めて30分も経つ頃には、もう止まらなくなるはずですので、あとは解説不要です。

ただし、一応、ジャンルだけは知っておきたいという人のために書いておくと、この本は、基本的には超正統派の単なる娯楽小説です。ただし、その皮一枚下は翻訳小説、もう一枚下は歴史小説(しかも司馬遼太郎のような著者がうるさい歴史小説)、さらに一枚下はファンタジー小説です。で、日本SF大賞受賞作。だいぶ普通じゃない、奇想天外な本なので、あとは読むしかないんです。

そうは言ってもですよ。どんな本かもわからない大長編に2000円〜3000円ものお金を払っていいのか、とお考えの人もいるでしょう。あるいは、読む気はないけどどこがおもしろかったかだけ知りたいという人もいるでしょう。さらには、読み終えた他者の感想が気になっているという人もいるでしょう。そういう人のために、物語のおもしろさを削がない程度のネタバレを含んで、もうちょっとだけ『アラビアの夜の種族』の魅力を3つ書きます。
いいですか?









はい、じゃあ書きます。


書痴のための本


第一に、この本は本好きによる本好きのための本です。書痴が本に抱く愛、そして読書の喜びが全ページをもって表現されており、こんな奇想天外な本につきあっている(つまり本好きの)読者の心をくすぐりまくります。

まずもって、物語の滑り出しがいい。エジプトのカイロに侵攻しようとするフランス軍を撃退するために、読みはじめたら夜も眠らず熱中して全ての仕事を放り出してしまうという世にも稀なおもしろ本「災厄の書」をナポレオンに贈ろう、というのがそれ。

いやいやどんなにおもしろくても本一冊で軍隊を退けるなんてできないでしょ、と思うべきところですが、それに説得力を与えているのが劇中劇のようにして書かれる「災厄の書」の内容。これが滅法おもしろい。あんまりにもおもしろくて睡眠時間を削って耽溺しちゃうくらい。仕事くらい放り出しちゃうってのもうなずける。

それだけじゃありません。この本には、全部で4冊の本が登場するのですが、それら全てをもって、本というメディアの魅力と、それに溺れる書痴の喜びが変奏されています。
その4冊とはすなわち、「アーダムの魔術書」「災厄の書」「Arabian Nightbreeds」そして古川日出男の手になる(読者がいままさに手にしているはずの)「アラビアの夜の種族」です。

それぞれに対して、どんな目的をもって作られた本で、どのようにして読まれたか(広まったか)、を表にでも整理すると「本というメディアの魅力と、それに溺れる書痴の喜び」がよく整理できそうですが、めんどくさいのでやりません。またそんなことをしなくても、読めばわかるはず。
ちなみに自分は、本と自分の間にできる関係に関する記述にぐっときました。本と自分とは、1体多の関係ではなく、常に1対1であるという、その幸福感を追認できて、非常によかった(だからこの推薦の記事も、作品に対するラブレターみたいなもんですね)。


極上のファンタジー小説


読み終えて、この本に関するレビューをいろいろと読んでみましたが、もっとも過小評価され、同時に過大評価もされているのが、文章量の大部分を占めるファンタジー小説のパートでした。

過小評価で代表的なのは、「ドラクエやハリーポッターのような子ども向け小説」とか「なにかのラノベのパロディかと思った」というもの。一方、過大評価で代表的なのは、「RPGでモンスターを倒すとお金が手に入る、という、よく考えると不思議な設定にも説得力を持たせることに成功している」等々。

いやいやどっちも違います。

モンスターが金銀財宝を集める習性を持っているのは(まるでカラスが光るものを集めるように)、ファンタジーの世界においては常識の範疇にあるものです。ただしそれは、D&D等のTRPGのゲームマスターをやったことのある人にとっての常識で、一般的には「スライムを倒すと5ゴールドが手に入る」みたいな話になってしまいますが。

しかしそれをもって作者のアイデアが借り物だと貶めるつもりはありません。むしろ、ファンタジー小説の正統に属する内容であることの証左であり、「なにかのラノベのパロディかと思った」というのも的外れです。

例えるなら、現在連載中の漫画『トリコ』がいいでしょうか。『トリコ』が週刊少年ジャンプの黄金時代の作品のエッセンスを最大限に活かした正統派の少年漫画として評価されているように、『アラビアの夜の種族』のファンタジー小説のパートも、極上のファンタジー小説なんです(つまり、黄金時代の少年漫画に熱中したことのない人が『トリコ』を貶め、ラノベに夢中になったことのない人が『アラビアの夜の種族』を貶めているだけです)。

ラノベのパロディという評が間違いなのは、このファンタジー小説のパートが、古川日出男の実質上のデビュー作品である『ウィザードリィ外伝II 砂の王』が原型になっていることからも断言していいと思います。つまり、パロディなのではなく真正のファンタジー小説がその出自です。

ちなみに、ウィザードリィうんぬんの話は、この本の中には出てきません。自分は、読んでいる最中にうっすら気付いて、あまりにも気になったので禁を犯して読書中にググって、そして非常に驚きました。『ウィザードリィ外伝II 砂の王』連載当時の93年、自分は月刊ログアウトを買ってまさにこの作品の原型となるものを読んだことがありました。どうりで! 挿絵まで思い出しましたよ。ああ、あれか! と。

当時『ログアウト』を読んでた人はそう多くないかもしれませんが、ゲームボーイで出た『ウィザードリィ外伝II』をやったことのある人は多いのではないでしょうか。ラノベ読みやゲーマーにとっても、この小説はおすすであること請け合いです。


村上春樹的なリーダビリティ


おすすめする最後の理由は、この本が非常に読みやすい文章で書かれてる、ということ。

このリーダビリティの高さはなんだろうと思ったら、村上春樹の文体に近いところがあるんですね。調べてみると、作者ご本人も村上春樹への傾倒を口にしていますし、なによりそれは『二〇〇二年のスロウ・ボート』という『中国行きのスロウ・ボート』(村上春樹)のリミックス小説なるものを刊行していることでもよくわかります(この『二〇〇二年のスロウ・ボート』もおもしろかったです)。

村上春樹の文章がすらすら入ってくる人ならば、『アラビアの夜の種族』もすらすら入ります。装丁がとっつきにくくても、分厚くても、ひるむ必要はありません(だって『1Q84』だってあっという間だったでしょう?)

そして村上春樹のよき読者にとっては、小説の本質ではないのを承知で、「これは『風の歌を聞け』みたいだね」とか「この構造は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』みたいだね」とか思いながら読むのも楽しいはずです。

ちなみに、この本の文章で一番才気走ってると思うのは、最後のページの最後の一行。想像もつかなかった一言で、時空がぐにゃりと歪みます。それを可能にした著者の遠大なパースペクティブに魅了されて、大ファンになってしまいました(いま早速、別の本に取りかかっています)。

最後には、とにかく「読め!」以外の言葉はありません。
読め!


アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫)アラビアの夜の種族〈1〉 (角川文庫)
著者:古川 日出男
販売元:角川書店
(2006-07)
販売元:Amazon.co.jp
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アラビアの夜の種族〈2〉 (角川文庫)アラビアの夜の種族〈2〉 (角川文庫)
著者:古川 日出男
販売元:角川書店
(2006-07)
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アラビアの夜の種族〈3〉 (角川文庫)アラビアの夜の種族〈3〉 (角川文庫)
著者:古川 日出男
販売元:角川書店
(2006-07)
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