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Google Readerがサービスを終了するというので、昨日はいろいろ騒がしかったですね。
それについては自分はこんなことを書きました。





そして今日は、愛読するモジログさんがこんなことを書かれていました。

Google Readerが7月1日で終了 これがフィードの「終わりの始まり」かも

私のごく個人的な感情に従えば、「これからの時代はどうなっていくのか」とか「この技術はどうなっていくのか」だなんてことはどうでもいいことです。これら一連の狂騒について頭に思い浮かんだのは、図書館にある本をすべて読むことができた最後の時代の伝説的司書リチャード・ガーネットの話だからです。

 図書館はもはや個人の手に負えないものになってしまった。
 あるいはこうも言える。
 人類はすでに/とうの昔に、個人が読むことができる以上の書物を生み出すようになってしまった。

 しかし書物の数が爆発的に増えたのは、人類の歴史の中で見れば、それほど古いことではない。
 現在、世界最大の蔵書を誇るアメリカ合衆国の議会図書館も、19世紀はじめに開設した当時には、たった1000冊の書物しか所蔵していなかった。1810年に大英博物館が蔵していたのもわずか2000冊だった。
 この時代の司書なら、自分の図書館の本をすべて読んでいたかもしれない。
 
 では、この古き良き時代に属するだろう、最後の一人について話そう。

 ほとんど伝説の域にあるエピソードを信じるならば、彼は大英博物館が蔵するすべての書物を知っていた。
 そればかりか、どのページに何が載っているのかに至るまでも熟知していた。

The Ideal Librarian - 自分のいる図書館のすべての書物を読むことができた最後の司書

そして私は、こういう人物に憧れます。めちゃくちゃかっこいいと思っています。
そういう人にとって、「RSSリーダーで情報をチェックする時代は終わった」「ソーシャルフィルタリングでふんふんしようぜ」というのはなんの福音にもならないわけです。Gunosyおおいに結構。でもそういうんじゃないんですよ。

19世紀が終わり、博覧強記の時代が終わり、目録の時代がやって来ようとしていた。


現代は、目録(インデックス)の時代の延長にあるわけですが、それでも私は、できる限りの範囲で、博覧強記でありたいと思っているし、そこにロマンを持っています。つまり「RSSリーダーは終わった論」に私が感じる“話のあわなさ”というのは、それがマーケティングやテクノロジーの話に終始して、「知」に対するロマンの持ち方の問題にまで話が及ばないからです。

あー、言いたいこと言ってすっきりした。

追記 1


パターン1
情報の量は年々増えています。その中から、あなたにとって重要なものだけをピックアップして適正な量に抑えます(しかしその適正な量って何? ウェブが普及してなくてテレビと新聞と雑誌でなんとかなってた80年代? まあいいや)。結果として、いつぞやの過去の時代に存在した、人間と情報の適正な関係が元に戻りました。

……So what?

パターン2
情報の量は年々増えています。でも、それを吸収する量もどんどん増えていきます。結果、過去の時代にはありえなかったことが起こりました。人間が一生のうち知りえる情報が爆発的に増え、そのことによって、新しい考えや新しい作品がたくさん生み出されていきました。

つまり、パターン2のほうがワクワクする。

追記 2






追記 3


モジログさんから応答いただきました。

私から見れば、「これからの時代はどうなっていくのか」とか、「この技術はどうなっていくのか」という話は、「知に対するロマン」に反するどころか、むしろきわめて関係が深いのだ。ぜんぜん、どうでもよくない。

今回、Google Readerについてあれこれ書いているブログを見ても、どれもこれも、よく見かけるブログばかりだ。よく見かけるブログを書いている人たちは、ほぼ例外なく、超絶なる情報オタクだろう。そういう人たちは、「知に対するロマン」を人一倍持っているからこそ、知を収集するための技術にもこだわっている、というふうにしか見えない。

フィードリーダーを使う人は情報オタク

同感です。ウェブプロデューサーをやっている人間が(私のことです)、マーケティングとテクノロジーをどうでもいいものだと思うわけがない。もののはずみでそう書いちゃっただけです。

同感だと思うからこそ、私とモジログさんの間に誤解があったかもしれない(あるといけない)のでいくつか補足します。

モジログさんの記事を文中で紹介したのは、たまたまです。実は、なんでもよかったといえばなんでもよかった。愛読していたブログだったから紹介したまでです。なので、この記事に書いたメッセージは、モジログさんに向けた反論・批評ではありません。

あまり名指しするのはどうかと思って最初は書きませんでしたが、ずばり、下記のような記事への違和感がこの記事を書かせました。

RSSというのは、結局のところ「一般のインターネット利用者」に普及するところまではいかなかったと言えるのだろう。

(中略)

TwitterやFlipboard、そしてFacebookのおかげで、面白いコンテンツに不自由はしなくなった。実のところWIREDに載っているからといって、そのすべての記事を読みたいわけではないのだ。私の知っている人たちが「面白い」と言っている記事を読みたい。Google Readerにはそうした機能はなかった。それ故に私は使わなくなり、そして今、Google Readerが舞台を去ろうとしている。

Google Reader終了 ― 結局のところ「RSS」は一般の人が必要とする情報収集手段ではなかった - TechCrunch

腐ってもTechCrunchともあろうものが、それでなにか言っているつもりなのか、と。

追記 4