批評『Gene Mapper - full build -』
- カテゴリ:
- 小説
現時点において、「作家」という言葉がまず第一にイメージさせるのは、「成熟した出版ビジネスを前提にした専業の職業的作家」ではないでしょうか。世に認められてキャリアをスタートさせ、その筆業だけで生活していこうとするスタイル。それはやがて自己模倣の繰り返しと市場への迎合を含んでいくものものでもありますが、尊敬の眼差しでもって見られる人々の憧れの職業のひとつです。
しかし、筆業で飯を食えていることが、作家を名乗ることの条件ではないだろうと、そういう気がしています。
ほとんどの作家は、キャリアのスタート時点において、止むに止まれぬ希求をもって書きはじめているのだと思いますが、本質的には、それこそが作家を作家足らしめているものだと思うようになりました。つまりそれで飯を食えているかどうかは、作家の名乗る本質的な条件ではないということです。
その止むに止まれぬ希求というのを、もうちょっとくどく言うならば、「自分だけが見て来た世界があり、それによって世界観が変わってしまった人が、みんなにその新しい世界を伝えたいと欲望する」ことだと思います。そしてなおかつ、それが簡単には伝わらないというジレンマを持つ人が、作家として何度も何度も形を変え、同じことを書き続けるのだと思います。
たとえば、飛行機のパイロットとして空からの視点を得たサン=テグジュペリは、生涯にわたってその新しい世界観を書き続けました。(他にもっとよい例があると思いますが)開高健は、ベトナム戦争の従軍記者としての経験によってその世界観を強固にしました。あるいは将来、脳死や脳の部分的な機能障害から復帰した人が、人類が未知の世界を表現するために筆をとって大作家になることがあるかもしれません。
私が、『Gene Mapper』(ここでは、最初のバージョン『core build』を指します)をはじめとするセルフパブリッシングの小説に魅力を感じるのは、インターネット(もっと狭義に言えばソーシャルネットワーク。以後、単に「ネット」と言います)登場以降のコミュニケーションや価値観の変化に対するアンサーが、ビビッドに反映されている作品が多いからです。そのアンサーのなかには、賞賛もあれば違和感の表明もあるわけですが、ネットによって自分だけが見て来た世界があり、それによって世界観が変わってしまった人が、みんなにその新しい世界を伝えたいと欲望しているという点では同じです。
パソコン通信やインターネットを、道具のひとつとして登場させた作品は数多くあります。いとうせいこうさんの『ノーライフキング』、森博嗣さんの『すべてがFになる』はいずれも象徴的であり名作です。けれど、ネットが本格的に普及し、社会にどのような影響を与え、それを受けて僕らがどう生きていくのか、という点までは描けていません。
その点に物足りなさを感じている人は、主にKindleなどでセルフパブリッシングで上梓される最新の小説に、面白みを感じるかもしれません。私はそうでした。これだけネットが普及したとはいえ、そのインパクトを十分に理解した作品が出てくるには、現役の(プロ)作家たちは現場からちょっと遠い場所にいすぎているのではないかと、そんな想像もしたくなります。しかしそうとだけ言うと語弊があるので、いとうせいこうさんの『想像ラジオ』や朝井リョウさんの『何者』といった例外の名前はあげなければいけないですね。
というわけで藤井太洋さんの話。氏は、まぎれもない作家です。
デビュー作の『Gene Mapper -core build』、続く『UNDER GROUND MARKER』『コラボレーション』そして最新作『Gene Mapper -full build-』を読んで、そう思いました。セルフパブリッシングからスタートして早川書房で商業出版デビューしたから、という意味ではなく、「自分だけが見て来た世界があり、それによって世界観が変わってしまった人が、みんなにその新しい世界を伝えたいと欲望する」という意味で、まぎれもない現代の注目作家のひとりです。
この作品の最後に、主人公の林田が、未対の二つの顔からひとつを選び取る、という場面があります。そこで選んだ結末は、ややもするとテクノロジーが全てを解決するという古くさい進歩主義的な話に読めてしまいますが、そうではありません。テクノロジーによる楽観的な解決を提示しているのではなく、オープンネスによって発揮される人間の力を信じる、という話なのです。
主人公の林田の職業はタイトルが示す通り「ジーンマッパー」、つまり現代でいえば「マークアップエンジニア」に相当するものです。彼が扱うのは、HTMLやCSSではなく、遺伝子を扱うgXML(というのは作品内の用語です)やそれを飾るスタイルシート。そしてこれらを支えるのは、オープンな仕様のテクノロジーであり、それが彼の思想を決定している、と読むことが可能です。
2030年代を舞台にしたこの作品世界には、2014年に人類がインターネットから追放(ロックアウト)され、国家が厳格に管理したトゥルーネットに取って代わられるというユニークが設定があります。そして林田は、年齢的にそのトゥルーネット世代なのですが、彼のジーンマッパーという職業を支える思想は、実はインターネット時代(つまり現代)のものであり、そのギャップが、この物語が転がっていく原動力になっています。
なにか特定の技術を、巨大な利権が独占してしまったり、あるいは、十分な情報共有がないまま誰もが自由勝手に使える状態になって仕様が乱立してしまうことを、主人公の林田は嫌います。そしてそれらに対抗するのは、徹底したオープンネスである、という結論に至るわけですが、そのカタルシスはぜひ実際の小説でお確かめください。
これは、ネットの世界を職業の場として、そこで呼吸してきた人にしか書けないお話であり、著者の藤井さんが書かずにはおれなかった希求が結晶した内容です。この小説が、ネットのヘビーユーザーを中心に支持されるのは、なにも道具立てとしてネットの用語が頻出するからではありません。ネットから生まれた思想が導く物語の行き先に、共感するからなのです。
そしてそれは、『UNDER GROUND MARKER』『コラボレーション』といった短編作品にも共通するものであり、何度も何度も形を変えて同じことを書き続ける執念が、藤井さんを作家足らしめています。
しかし、ファンとしてやはり長編が気になるもの。次回作(になるであろう)『Orbital Cloud』の発表で、その真価がさらに発揮されることを、楽しみに待ちたいと思います。

著者:藤井 太洋
出版:早川書房
(2013-04-30)

著者:藤井 太洋
出版:早川書房
(2013-04-24)

著者:佐々木 大輔
出版:焚書刊行会
(2013-01-24)
おしらせ
この記事のアップデート版を含む全文は、以下の本に収録されています。

著者:佐々木 大輔
出版:焚書刊行会
(2013-05-09)
コメント