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2013年上半期、KDP作品の個人的ベストは『ゆっくりとオレンジが潰れる』(小林楓)です。イベントなど、至るところで言って回っていますがあらためて記事にします。

この小説はすごいぞ!

私はこれを、KDPで公開される前にPDFで読ませてもらったのですが、ものすごいものを読んでしまったという衝撃と、自分もこういう作品を書きたかった(けどはるかに及ばない)という現実を突きつけられて、おもいきり打ちのめされました。この作品ひとつで、数多あるKDP作品のクオリティの平均点をずずいっと上げてしまうような、圧倒的な品質。さらに、この作品が書かれたのは1999年とのこと。それが今日まで未公開だなんて信じられない! そう思って、著者の小林さんと、制作・本文デザインをされた深沢さんにぜひセルフパブリッシングで出しましょうとお伝えしてついに出たのがこちら、EPUB版の『ゆっくりとオレンジが潰れる』です。


ゆっくりとオレンジが潰れるゆっくりとオレンジが潰れる [Kindle版]
著者:小林楓
(2013-06-04)


主人公は、IT企業に勤める中年男性で(ほら、これを読んでいるみなさんのような人のことですよ)、2013年の僕らと同じようにネットのコミュニケーションに疲れています。

「この無情なる世界で、どうか顔文字を使わない勇気をお与えください。オノマトペを多用しない勇気をお与えください。交流サイトで無意味に友人を増やさない勇気をお与えください。そのコミュニティでしか通じない隠語を使わない勇気をお与えください。低能なコメントには返信しない勇気を……」


その思考を表現するかのように、文体は極度に断片化(フラグメンテーション)されています。だから、もくじだけでひとつのコンテンツのようになっています。こんな感じです。拡大してご覧ください。

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各章は、ある程度の長さのものもあれば、一画面でおさまるくらい短いものもあります。たとえばこんな短いものも。

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ネタバレにならない程度に先まで見せると、文章さえもやがて断片化してしまったりも……。

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もうひとつおまけに、こんなのもあります。
句読点を指さすチャーミングな記号に注目。

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この小説では、マジックリアリズム直系といっていいような海外文学的文体と、電子書籍ならでのはデザイン的な試みが、物語られるべきテーマを成立させるために効果的に機能しています。かっこつけで書いている文章じゃないし、ふざけてデザインしているわけでもない。これしかないという化学変化を起こすために、それぞれが機能しています。

未読の人にお願いなのは、できれば、Kindle Paperwhiteではなく、カラーで読める端末で読んでください。なぜかは書きません。でもきっとその方が、後半の感動が大きくなることをお約束します。一番いいのは、スマートフォンで読むこと。この小説は、1999年に書かれたとはとても思えないような、しかしまさに、スマートフォンで読むのにふさわしい小説です。

   *

昨年、自分が書いた『残念な聖戦』という小説も、インターネット業界を描いた作品でした。ソーシャルメディアのおかげでかえって力を失ってしまった「言葉」へのアンチテーゼとして、長編小説という形式を選んで書きました。
しかし、それらのテーマのつかみ方や、それを表現するアイデアなど、あらゆる点において、小林さんの『ゆっくりとオレンジが潰れる』のほうが優れています。自分はこういうものが読みたかったし、こういうものが書きたかった。ひるがえって、じゃあ自分が小説を書く意味なんてあるんだろうかと思ってしまうくらい、打ちのめされました(読後しばらくたって、それでも自分が書く作品にも意味はある、と思えるようにはなりましたが)。

みなさんはこの小説をどう読むのかわかりませんが、私にとっては、ネット企業で働く中年男のためのアンセム(頌歌)でした。下品で、ロマンチックで、読後に涙がじわっとでるような、苦いアンセムです。しかもこれを書いたのは、公称プロフィールによれば「ブログ黎明期より名無しで活動してきたネット作家。古今東西の文芸読みであり、作品は一部で話題に。新聞等でも時事評論を寄稿」という知る人ぞ知る小林楓さん。この世界でサヴァイブし、10年20年という単位で事業と創作の両立をしてきたその行為と、だからこそ至ることのできる高みに、勇気が湧きました。私にとっては、嵐の灯台のような存在ですらあります。

とはいえ、この作品のおもしろさは、KDPだからとか、セルフパブリッシングだからとか、電子書籍だからとか、一切関係ありません。いま優れた小説を読みたかったら、この作品を手に取らないと嘘です。そう断言します。

ゆっくりとオレンジが潰れるゆっくりとオレンジが潰れる [Kindle版]
著者:小林楓
(2013-06-04)