カテゴリ:
夜中、ふと目が覚めて、スマートフォンにたったいま新着メッセージが届いたことを予感する。そんな感覚は誰にだって覚えがあるだろう?
耳や声の拡張であったはずの機械は、いつの間にか人間の感覚にも拡張し、インターネットプロトコルによるbitの送受信さえ脳のどこかで感じてしまうようになった。着信音も、バイブレーションさえもなしに。
明かりのない部屋のベッドに横たわる僕の頭の上には、赤く塗りつぶされたの円と、そのなかに表示される白抜きのアラビア数字が形而上的にぽっかりと浮かんでいる。

1。

彼女からのメッセージだ。

via. 代々木犬助『ケンタウロスの花嫁』


これは書きかけの小説の一部分なんですが、『今こそ読みたいマクルーハン』を読んでいてまさにこの事だなと思ったので抜粋してみました。

自分がテーマにしているのは、ポストインターネット時代の肉体と精神。身の回りの道具やサービスが、最初は精神を変え、それが肉体におよび、やがて変化した肉体がふたたび精神にフィードバックされて新しい人間像を生み出していくという精神と肉体の交流の様子を書こうとしています。下敷きになっているのは、10年近く前に読んだラマチャンドランの『脳のなかの幽霊』という本で、ここから授かった霊感をもとにずっと構想していたものです。

一方、マクルーハンの本はこれまで一切読んでこなかったんですが、その内容がラマチャンドランの本と劇的に響き合っているように思えてなりませんでした(もちろん、マクルーハンのほうは古いです)。

メディアというものを、テレビや雑誌といったマスメディアだけでなく、車輪や衣服まで含めた人間の感覚の拡張と考えることからはじまるさまざまなアイデアは、当時は裏付けが弱いと批判されることも多かったそうですが、あとの時代になって、ラマチャンドランの本を最初に読んだ私のような読者には、逐一妥当に思えるものでした。
しかし「聴覚的空間に生きる人々は部族(トライブ)化する」といったアフォリズム的な表現はラマチャンドランにはないもので、このあたりはマクルーハンの魅力ですね。それぞれが響き合ってアイデアが密になる、知的興奮を味わいました。



脳のなかの幽霊 (角川文庫)
V・S・ラマチャンドラン
角川書店(角川グループパブリッシング)
2011-03-25


次回予告


社内のサークル活動制度を活用しようとして挫折した話。