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本書のテーマはシンプルだ。

後の世から見れば明らかな捏造・トンデモとわかる話に、なぜ当代一流の知識人までもがコロりとだまされてしまうのか?

幻想の古代史〈上〉
ケネス・L. フィーダー
楽工社
2009-11


上巻で取り扱われているのは、「カーディフの巨人」「ピルトダウン事件」「藤村新一の旧石器捏造事件」など。一言でいえば、それらの捏造・トンデモを支持させたのは、聖書の記述を信じたい気持ち、イギリスが世界に誇る民族だと信じたい気持ち、日本が旧石器時代から連なる歴史ある国だと信じたい気持ちだということになる。

地球が宇宙の中心だと思い込むと、地動説のヒントが目に入らないし、神がヒトを造ったと思い込むと、進化論のヒントが目に入らない。
もっと最近の話(今もまだ認識がゆれていそうなところ)でいえば、脳がすべてを決定していると思っている人には思考する身体からのメッセージが聞き取れない、ということもある。

結局のところ人は、どれだけ賢く科学的になったつもりでも、自分が見たいと思っているものしか見ることができない、という限界を本書は示している。
なにもいまさら「巨人族は存在しない」とかそういうことを喝破するための本ではなくて、現在の自分がどんな色眼鏡をかけているのかを考えるきっかけを与えてくれることに価値がある。

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これは、欠席している生徒に挙手させるくらい難しい話ではあるけれど、「僕らがいま見ることができないものはなんだろう?」という認知の限界を超越しようとする問い掛けには意味があるだろう。

以下に挙げるのは、「機会は平等で、努力は報われる」という価値観の時代に生きている僕らにとって不都合な真実(かもしれないこと)のリストだ。

政治家は賢く、金持ちは優しく、イケメンはいいやつ
芸能界には枕営業も乱交パーティもない
寄付は正しく行われ、アグネスは誠実だ

もし仮にこれらが正だとすれば、少なからぬ人が、「自分の可能性」と「現状の待遇」のミスマッチを責任転嫁する先を失うかもしれない。そうなれば、終わりなき鬱を生きることを選ぶか、根底にある価値観を疑ってみるしかない。でもそれは、どちらも難しい。だから僕らは、都合のいい捏造(かもしれないこと)のリストに飛びつく。ネットのニュースの見出しや、コンビニの廉価コミックの棚は今日もそんな話題ばかりだ。

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僕はといえば、超古代文明の存在を信じたがる傾向にあり、真偽の疑わしい話に喜んで飛びつく。考えてみるにそれはハルマゲドン願望の裏返しで、ハルマゲドン願望がなにかといえば、文明への不信感だ。世界を成立させているテクノロジーを信じられないのは、それがあまりに高度に発展しすぎて実感が伴わないからで、馬と車輪の時代だったらそんなこと思いもしなかっただろう。むしろ未来のことを考える。

省スペースや検索可能性という利便のため、写真や音楽や書籍をデジタルデータに変換してオリジナルの物体を破棄するとき、僕は一抹のやましさと嘘臭さを感じる。百年先には失われてしまうような媒体をありがたがって、より寿命が長いはずの媒体を破棄している自分は、まるで文明の練炭自殺に加担する共犯者のようではないか。

だから僕は、自分の認知と世界とのつながりをローテクなメカニックを通して実感するために、皿洗いや自転車漕ぎに励み、薪割りや魚釣りの生活に憧れるのだ。それができないとき、僕はある種のサプリメントとして、過去にあったかもしれない超古代文明のことを考える。滅びてもなお未来に残るものの価値を思って。

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なんちゃって。

本の情報


絶版本。マーケットプレイスなら上巻は500円ほど、下巻は3000円弱です。

幻想の古代史〈上〉
ケネス・L. フィーダー
楽工社
2009-11


幻想の古代史〈下〉
ケネス・L. フィーダー
楽工社
2009-11