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前回の記事を公開してから思い出しました。高校の卒業文集に「いつか『超個人主義』という本を書きたい」って書いたんですよ。他にもっとなかったのかよとも思うんですが、わざわざ書いただけあって、伝えたかった内容は思い出せます。

自分が、他者との関わりによって生まれた社会的存在なら、究極的な利己ってのは究極に利他的に振舞うことであって、独善におちいらないエビバディハッピーな超個人主義ってのがありえるんじゃないかと。極言すれば、自分のことだけ考えてれば世の中うまくいくんじゃないか、っていう内容です。

そんな感じでなかなか威勢のいい話をぶっこきましたが、それで人が簡単に変われたかというとそうはイカロス溶けゆく翼。今回は、脆弱な万能感で空を目指し、太陽に焼かれた若者の話からはじめてみます。

オジオン先生と妣の化身


その理論と実践がうまくいっていたのは、高校のときだけでした。18年間、それこそ保育園や小学校からの幼馴染との付き合いばかりで、まるでGCU(継続保育室)のような、あるいは公園の砂場のような場所でしたから、必要とされる社交のスキルも原始的なものだけで済んだし、暗黙のコードも自然と理解して振るまえてた、ということだと思います。

それが変わるタイミングとして多くの人に心当たりがあるのは、進学や就職、さらに付け加えるならネットというもうひとつの社会へのデビューということになろうかと思います。生まれ育った環境も、時代も、立場も違う人たちが一斉に集まるような場所では、必要なスキルを身につけ暗黙のコードを理解するのにそれなりのつまずきが伴うはずで、やはり自分も、そのときどきでいちいちつまずいてきました。

そういうスキルとコードの欠落は、文章にするとごくごくつまらないことです。

たとえば、盆と正月の帰省で親戚まわりを欠かさない人が、友人の悩み相談のときに相手の話をさえぎって自論を滔々と展開してしまうとか(基本的に、ただただ聞くべきです)、フレンドの誕生日におめでとういいねを欠かさない人が、同僚のホームパーティに手土産も持たずにやってくるとか(無償の好意を前提にしていても、基本的に、なんらかの「形」でお礼を表現すべきです)、たかがそんなことではあるんです。

僕が自分のことを棚に上げて偉そうなことを言えるのは、このつまらない欠落が、しかし自分ではなかなか気づけないからです。そして気づけないでいるうちに、つまずいてしまう。

自分を表現することからはじまる成長のサイクルがうまくいかないときは、自分が属する社会に必要なスキルや知っておくべきコードが欠落している可能性に思いを巡らせてみるといいかもしれません。もし、自分にうるさいことを言ってくる人がいたとしたら、それは幸運です。遠ざけずに、敬いましょう。

というのはだいぶ後になってわかったことで、20歳の自分はまさにそのつまづきの真っ最中。自意識過剰のクリエイター気取りで、社会性が欠落した嫌なやつでした。だったような気がします。いや、やっぱり確実にそうだったですね。

よく覚えている光景があります。

同級生が100人以上も着席している講堂のなか、僕は最前列中央に座っている。後ろを振り向けば、見知った顔がいくつもあるのに、そのなかの誰とも心を通わせることができない。一緒に座ってくれる人も、講義を休んだときにあとからノートを見せてくれる人も、突如の休講をメールで知らせてくれる人もいない。最後列の席では、男女数人からなるグループが、注意されないくらいの慎みをもってしかし楽しそうにおしゃべりに興じている。だから僕は、先生の話を聞き逃さないように、あるいは、そうしたものを目にしなくても済むように、余計に前の方に座ろうとする。

と、あまり心楽しい思い出ではないんだけれど、そうやって真剣に受けていた講義のなかに、いまだ忘れ得ないものがあります。

内容は、たぶん発達心理学かな。臨床心理士であり現役の歯科医師であるという、ちょっと変わった経歴をもった外部講師でした。見た目は、当時40代かぎりぎり50歳かといったところ。名前を仮に、オジオン先生としておきます。

オジオン先生は、ちょっと変わった人で、いつもなんらかのポップカルチャーを鑑賞させることから講義をはじめていました。あるときは、講堂にステレオを持ち込んで、清志郎の「僕の好きな先生」を流し、みんなで歌詞カードを読みながらそれを聞いたりしてね。どこの大学にも何人かはいますでしょ。そういう人です。

そのなかのある講義で、オジオン先生は、自分が出会った「影」の話を語りだしました。

「コンサートの最中のことです。ドームの天井を覆うように、黒い雲のような生き物がゆっくりと蠢いていたんです。私はそれをスタンド席から見ている。しかしまわりの誰も、私以外には、その影に気づくものはいない。私はコンサートのことも忘れて、いつまでたっても消えないそれを見つめ続けるうちに、突然、それがなにかわかりました。それは、私の“影”でした」

この分野にお詳しい方ならすでにお察しの通り、これはフロイトやユングらによる抑圧された無意識の話です。

不勉強なので深入りした説明はできませんが、「抑圧」というのは精神分析の用語で、「自我を脅かす願望や衝動を意識から締め出して意識下に押し留めることであり、意識されないままそれらを保持している状態である(ウィキペディア)」などと説明されるようです。

その抑圧された無意識が、実体をともなった「影」として目の前に現れた、という話なんですね。抑圧された無意識について誰かと話すことなんて普通はありませんから、実際のところはわかりませんが、それを実体として見た、もしくは、見たとリアルに感じた、という話は非常に珍しいと思います。すくなくとも僕の身の回りには、ケサランパサランを目撃した人のほうが多いですし、実際、自分の「影」と出会ったなんて話は小説のなかでしか読んだことがありません。

そう思って聞いていると、オジオン先生が講堂を見渡してたずねました。

「このなかで、『ゲド戦記』を読んだことのある人はいますか?」

それはまさに、自らの影との戦いを描いた小説のことです。そのとき僕は、迷わずさっと手をあげたような気がします。あるいは、周囲の視線が気になっておずおずと手をあげたんだったかな。まあどちらにせよ僕は手をあげ、他には誰も手をあげなかった。それはなぜか、僕を誇らしい気持ちにさせました。いつもひとりで最前列中央に座っている僕と、僕の好きな先生〜♪(唄:忌野清志郎)との間に、絆が生まれた瞬間です。ちなみに、ここまで説明を引っ張ってしまいましたが、オジオンというのは小説の主人公・ゲドのお師匠さんの名前です。

さてその『ゲド戦記』というのは、フロイトやユングらの研究の影響下で書かれたファンタジー小説で、その第1巻は「影との統合」がテーマになっています(ちなみに、第2巻では「異性との統合」が、第3巻では「死との統合」がテーマになっています)。
小説のなかでゲドは、若き過ちから生み落としてしまった自らの影に脅かされます。最初のうち、その影から逃げ続けるゲドですが、やがて立場を変え、世界の果てまで影を追い詰め、それを退けるのでも打ち破るのでもなく、影と一体化する、つまり統合することで決着をつけます。

オジオン先生が見たのはドームを覆うような巨大な影ですから、おそらくとんでもない無意識の抑圧があったんだろうなと聞き手の僕は勝手に想像するわけですが、それについては特に語られませんでした。ただいずれにしろ、そのようにして人生のどこかの時点で影と向き合って統合を果たしたのだと、そんなような話でした。

でも、当時の僕はといえば、影との統合なんて望むべくもない若造でしたから、おもしろい話だなとは思いながら、もっともっと幼稚なことで悩んでいたんです。それは、母からの期待です。

学期末。すべての講義が終わった後、オジオン先生は僕たちにレポートを要求しました。テーマがなんだったか今となって思い出せないし、なんと書いたのかも忘れてしまいましたが、それに対するオジオン先生の手書きのコメントの内容はおぼえています。

母からの期待に生きてはいけない。それは他人の人生を生きることです。あなたはあなたの人生を生きなさい

言葉は短く、衝撃は大きかった。
そうか!
それでいいのか!!
そうすべきだったんだ!!!

レポートになんと書いたのか忘れたといいましたが、まあおそらくは、家業を継いで欲しいという期待だとか、公務員になって地元に戻って欲しいという期待だとか、そういった母からの期待にできることなら応えてあげたいという気持ちがありつつも、それが自分の望む人生ではないという思いに折り合いをつけられず、その悩みをオジオン先生に吐露したんだと思います。

そうした孝の気持ちを否定され、衝撃を受けつつも、僕はすぐ、しかも完全に納得しました。なぜなら僕には「超個人主義」があったから。

自分という存在は、他者との関わりの集合体です。ということは、他人という存在もやはり、(自分を含む)他者との関わりの集合体であるわけで、そうであるならば、誰かが代わりに自分の人生を生きることはできないし、また同時に、誰もが他人の人生の一部になることができます。

パラフレーズしましょう。

誰かの期待に応えようとして自分の人生を放棄してはいけないのはもちろん、誰かの期待への過剰な対応によって他人の人生を生きようとしてしまうことも、またよくありません。それは、他人にその人生を放棄させることにつながってしまうからです。自分は、他人の「1/無限(むげんぶんのいち)」になることしかできないけれど、しかしそれは喜ぶべきワン・オブ・ゼムだというわけです。

そのとき得た理解が、僕を、GCUや砂場といった幼き世界から羽ばたくきっかけを与えてくれました。

そうか、みんな他人なんだ。僕と母も、血のつながった家族とはいえ、やはり他人なんだ。他人でいいんだ。むしろ、他人だからこそ、お互いがお互いの人生を生き、そのことによって他人であるお互いの人生の一部としても生きることができるんだ。

オジオン先生がそういう意味で言っていたのかどうか、今となってはわかりませんが、僕はそのように理解し、以後、そのように思ってきました。連れ添っている愛妻も、1歳8ヶ月になる愛息も、こうした認識のもとではやはり他人です。でも他人だからこそ、私は彼らの、彼らは私の、欠かせない人生の一部であり、かけがえのないファミリーです。

おっと、ちょっと勢いづいて余計なビブラートまで効かせちゃったみたいです。えらいすんません。

さて。母をも他人だと思い、母の庇護から離れて自立した羽ばたきをしようとする頃、母の代わりとなって脆弱な自意識を守護してくれたのは、女性でした。

ここでひとつ提案があります。そういうときにそういう役割を果たす女性に、「彼女」でも「恋人」でも「妻」でもない名前があると便利だと思うんです。「お前の竹馬の友ってだれなの?」みたいに、その役割を正確に表して人にたずねられるものとして。

私の提案は「妣の化身(ひのけしん)」です。

この「妣」という漢字は亡き母という意味ですが、「妣の化身」と呼ぶときの元ネタは、大塚英志の『魍魎選挙MADARAシリーズ』にあります。
この作品における妣の化身というのは、前世で主人公のマダラを産んだ母であり、現世では彼を守護する者でありながら永遠に結ばれない恋人であり、来世ではマダラを産むことを約束された存在です。そうした妣の化身の役割を負ったキャラクターが、関連するシリーズ作品に繰り返し登場することから、母の庇護から離れた男性を守護する女性をここでは「妣の化身(ひのけしん)」と呼びたいと思います。

なぜわざわざそのときの自分を守護してくれる女性に「妣の化身」という彼女とは違う特別な名前が必要なのか。それは、最初の羽ばたきに「勇気」を与えてくれる、一度きりの特別な存在だからです。

勇気という言葉を、僕は前回の記事で二度使いました。

17歳の僕は「表現し、還元され、成長する」というマントラを繰り返し唱えます。

他者との関わりを変えるためには、自分を表現するしかない。自分がどうありたいのか、勇気をもってさらけだせよと。それが実行されれば、関わりに変化が生まれ、自分に跳ね返ってくる。それが還元。さすれば汝成長せん、というわけです。つまり自分を変えられるってこと。

自分は何者でもないが、同時に、あらゆる他者に影響され得るという意味で、過去とも辺境とも同時に接続された全き者なんだと気付いたときの希望たるや、最高の気分でした。
同時に、その可能性を引き出すために必要なのは、表現という働きかけをする勇気ひとつだというわけです。表現には、才能も財産も関係ないわけで、誰もが等しく実行できる具体的な手段です。これもまた希望ですよね。

自分で自分を変えていく自立的成長のサイクルに突入するには、表現という働きかけがその第一歩になる、というのが前回の主張です。でもそのためには、まだ幼く醜い自分をも愛してくれる存在が必要です。蝋で固めた翼が溶けて地面に墜落してしまっても、それを嘲笑せずに励まし、勇気づけ、守護してくれる母に代わる女性が。

僕は男性なので、こういうとき女性ならどうなのかってことは、想像できません。それについて誰かと話したこともありません。同じことが言えるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。誰かに意見を聞いてみたいところです。

そのタイミングで運よく妣の化身に出会えた僕は、家業を継ぐのでもなく、公務員になって地元に戻るのでもなく、自分の望む人生を生きるために、職のあてもないのに段ボール三箱きりで東京に飛び出してくることができ、いまもどうにかこうにかやっています。

そのときの翼は、まだ溶けずに僕の背中に生えています。

(つづく。次回、人生に「目標設定」は必要なのか?)