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前回の記事を公開してから、また思い出しました。一昨年、2014年8月30日に、出身高校のOB会からのお誘いで、全校生徒の前で文化祭記念講演をしたんですよ。なんかすいません。何も成し遂げていないくせに何を偉そうにと僕も思います。思うからこそ、過去に二度も断ってきたんですが、このときは、自分が子どもを授かったばかりとあって、いささか心境が異なりました。

17年前に17歳だった自分に向けて話してみよう、そして、17年後に17歳になる息子に向けて話してみよう、そう思ったんです 。そのなかに、「妣の化身」に関連する話もありました。

ただ、いざ引き受けてはみたはいいものの、いつ両親や友人が見に来るんじゃないかと、ドキドキしていました。なにしろ文化祭の告知はオープンなものだったし、在校生でなくても誰もが来られる文化祭です。もし誰かが来てしまったなら、そのときにはネチケット(死後でしょうか?)の話に でも切り換えて無難にやり過ごそうと思っていたんですが、幸いにして、用件を知らせずに帰省していたからか、それでも知られてしまった人には「(来るなよ!)」という無言のメッセージを発していたからか、そもそも他人は他人に興味がないわけだから余計な心配に過ぎなかったのか、誰も来ず、それによって恥ずかしい思いをせずに済みました。

自分がどんなに17年前の自分と17年後の息子のために語っているつもりでも、自分をよく知っている人間には身の程知らずの阿呆にしか見えないわけですからね。

しかしそういう思いをしながらも登壇することにしたのは、それが表現せずにいられないことだったからだし、そのときの話を今ここで開陳しようとするのも、その(あるいは、この)表現がめぐりめぐって自分によい変化をもたらすだろうと思うからです。「表現し、還元され、成長する」。そのマントラには今も忠実です。

17年前の僕と、17年前の君に


特にめかしこみもせず、近所の自動販売機に缶コーヒーでも買いにでも行くような素振りで家を出ると、徒歩3分で母校に到着。近所にありながら、敷地内に入るのは実に17年ぶりのことです。でも不思議と、懐かしいとは思わなかった。なぜだろう。僕はすっかり17年前に戻ったつもりで校門をくぐったのかもしれません。

案内された校長室では、今回の企画をしてくださったOB会の方2名と校長と挨拶を交わし、年代物のソファーに腰掛け、お互いの自己紹介がてら雑談をしました。そのとき壁のぐるりを囲んでいたのは、歴代校長の写真と、過去の卒業アルバムや卒業文集を架蔵した書棚。旧制中学を前身とする母校は創立110年を超えており、なかなか壮観です。
ということはもちろん、話のよすがとして僕が卒業した代のアルバムと文集が出されてくるの当然の流れで、そこには前述した「いつか『超個人主義』という本を書きたい」ということがやっぱり書いてあるわけですね。
もしそれについて聞かれたら、「自分のことだけ考えてれば世の中うまくいくんですよ」と、誤解しか招かない極言を吐かなければいけなかったので、触れずにそっとしておいてくれた校長には感謝しかないです。というわけで僕は、招待したことを後悔される前に登壇することができました。

僕の手元に、そのときの講演のメモがあります。

  1. これだけ均質な条件の人が集まって長い時間を過ごす機会は、この先の人生で二度とありません。新しい社会に飛び出すと、自分が他人と違っていることに驚き、理解し合えないことを嘆くことがあるかもしれません。ですが、どちらもあたりまえのことです。自分は他人とは違い、他人とは理解し合えません。(でもそれは、悪いことじゃないんです)

  2. 進学して地元を出て行くと仮定すると、両親と過ごす生涯時間のうち96%はこの時点で消費済みです。家族を大切にしましょう。というのと同時に、みなさんはみなさんの人生を生きてください。(あと4%しか関わらなくていいんだ思うこともできるし、残りの時間は自分のファミリーと過ごすことになるわけですから)

  3. 好意や感謝は、思いや言葉だけでは伝わりません。もし今までそれで伝わっていたとしたら、幸運です。そちらのほうが珍しいことです。行動やモノといった「形」にして表してください。(友情があるから、よいコミュニケーションがあるんじゃなりません。よいコミュニケーションがあるところに、友情が生まれます)

  4. 統計では、みなさんのうち20%ほどが、生涯結婚せずに人生を過ごします。あるいは今後もっと増えるかもしれません。結婚しないという選択も当然あり得ますので、ここでは結婚したいと思っている人に伝えます。異性とステディな関係になるための知識や技術やアティテュードは、とても大切です。学校という社会ではそのことが過小評価されているので誰も教えてくれませんが、勉強や友情と同じくらい大切です。もし身近に、そういう体験ができる機会があるなら、臆さず飛び込みましょう。まだ機会が来ない人は、ひねくれず、ひがます、素直な気持ちで待ちましょう。(いい年齢になってから「恋愛工学」に夢中になるのはみっともないです)

  5. ティーンエイジャーのみなさんが触れるメディアや、そこで崇められているヒーローたちは、「勉強なんか大事なことじゃないさ」と言います。それが間違いだとは言いませんが、その情報にはバイアスがかかっています。勉強によって成功した人たちは、みなさんが触れるメディアには登場しません。平凡な暮らしをしている身近な大人たちのなかに、ヒーローはいます。探してみましょう。(そして平凡って、いいことですよ)

実際のメモにはこの倍くらいの項目が書きつけてあったんですが、ここでは本稿の趣旨に沿ったものだけ抜き出してみました。

これらはすべて、僕がつまづいてきたことのリストであり、17年後の息子に(できれば)スマートに学習してほしいと思っていることです。基本、生きていてくれるだけで嬉しくて、さらに元気だったらもう何も言うことはないので、これは高望みが過ぎると理解してはいます。いますが、こうしたモノローグであれば(しかしこれは本当にモノローグなんだろうか)、他者を変えてやろう、支配してやろうという傲慢からは逃れた慎みある行為の範疇に収まるだろうと思って書きました。

さてその具体的な内容ついて。
1から4は、前回までに語ってきました。以上。
5に関連する内容は、簡単に伝えられる自信がない。でも、もし僕にその力があれば、これから先の記事で書けると思う。書けるといいなと思います。

(つづく。次回こそ、人生に「目標設定」は必要なのか?)