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最近読んだ本、『青少年のための小説入門』とか『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』とか

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一冊読むと、関連する本が読みたくなる。するとさらに興味が湧いてきて、また本を読む。というようなことを繰り返していると、一冊読むごとに感想を書くのが難しい。意気揚々とレビューする、なんてことがしづらくなってくる。でもとりあえず、最近読んだいくつかの本をあげてみる。




小説を読むことに関しての友達には恵まれ得ても、書くことに関しての友達はなかなか得難い。この小説を通じて、自分にもこんな友達がいてくれたらなあ……みたいな胸が疼くような気持ちになった。作中、主人公のふたりがこんな会話をする。

「小説は無力だって言ってたけど、そんなことないよね」  少し黙ってから、おれはな、と登さんが真剣な声を出した。 「いままで生きてきて、本気でおもしれえと思ったのは、小説だけだ」 「ぼくも!」

僕もそう思う。人生経験に乏しいのかもしれないが、小説よりおもしろいと思ったものは他にない。

「ぼくは、小説は可能性の束だと思ってます。ポール・オースターが作品の中で、小説の中心はいたるところにあって、結末を迎えるまで円周は描けない、という意味のことを言ってます。編集者はもちろん、作家さんも、書き終わるまで作品の全体像はつかめない。本当にすぐれた小説とは、そういうものじゃないでしょうか」

わかる、わかりすぎる。僕もプロットを用意せずに書いていくスタイルであり、それが本当の楽しいと思っているのですが、それを(ポール・オースター)によってうまく言語化してもらった。


ムーン・パレス (新潮文庫)
ポール・オースター
新潮社
1997-09-30


今年になって、初めて読んだ。冒頭から全体の1/3くらいまでが特に素晴らしいと思いながら読んだが、果てしなく地滑りしていくような後半もまたいい。こんな風に小説が運動しだしたら、楽しくってしょうがないよね。「結末を迎えるまで円周は描けない」という意味がよくわかる。




ポール・オースターによってニューヨークづいた、というわけではなく、『僕らのネクロマンシー』を読んだ友人から、読後にこれを思い出したといって薦められた作品。初読。主人公が「きみ」と呼ばれて進行する二人称小説という奇抜さと巧みさが気になって分析的に読んでしまったが、ラストあたりの母とのシーンで没入感が高まりすぎて泣けてきた。そういうことか。だから僕の小説を読んでこの作品を思い出してくれたのかな? これはやられた。




うーん。最初はおもしろかったのに、その後、のれない。全体の3/4地点で力尽きそう。博識さに関心するより、その表面的な感じが気になって身構えてしまうし、そうなると文字数を稼ぐための冗長なおしゃべりが許しがたい。これがわかんないなんてバカだなって思われてもいいや。人に薦めたい本ではない。ちなみに前作『サピエンス全史』は楽しんだ。


みんなちがって、みんなダメ
中田 考
ベストセラーズ
2018-07-25


やまもといちろうさんが絶賛していたもの。イスラームの考え方にまったく馴染みがなかったので、目ウロコぽろりの読書体験。こらおもしろいわ。

自由というのは幻想です。そのことにまず気がつくことが大切です。自由があるとかないという二元論的な発想も、「西欧は自由で、イスラームは自由ではない」というのも誤りです。自由が幻想であると気づくとは、自分が何の奴隷になっているのか、どのような考え方の奴隷になっているのかに気づくことにほかなりません。

自分がどういう考えの奴隷になっているか、それに気付いたり、ゆさぶりをかけたりするのにいい。




戦後すぐ、昭和20年代に北アルプスの最奥部・黒部原流域で山賊と呼ばれた男の話。民俗学や山登りが好きな人にたまらない系の本。熊のクソまで鍋で煮て食うエピソードが最高だった。




明治150年の今年だけれども、岩手出身の自分として負けた側なので戊辰戦争150周年という感じがやっぱりちょっとだけして、機会があるとぽつぽつとこういう本を買ってしまう。ちなみにKindleで買ったらリフローじゃなくて読みづらい。失敗した。




スマニュー社内で開催された調査報道勉強会の推薦図書。清水潔さんの本は『桶川ストーカー殺人事件―遺言』に続いて2冊目。カポーティの『冷血』を再読しよう。


日本文明77の鍵 (文春新書)
梅棹 忠夫
文藝春秋
2005-04-01


新聞書評を読んで手に取ったんだったかな。熱を出しているときにパラパラ読んで楽しんだ気はするが「世界最古の土器は、今のところ日本で発見されたものであり、その技術がニュー・セラミックス産業につながっている」といった主張に「ほんとか?」という気がして一歩引いてしまった感じはある。




素晴らしい本だった。力作だし、爪痕を残さずにいないような内容だった。

オーウェルは本を禁止しようとする独裁者を恐れた。ハクスリーは、本を読みたいと思う人が誰もいなくなり、本を禁止する理由がなくなる社会を恐れた。
『1984年』が描いたのは、人々は痛みを負いながら制御されている世界だ。『すばらしい新世界』では、彼らは喜びを与えられることによって制御される。 オーウェルは、わたしたちが恐れるものがわたしたちを台無しにすると恐怖し、ハクスリーは、わたしたちが望むものがわたしたちを台無しにすると恐れた。

近く再読しよう。




実におもしろかった。夢中になって読んだ。サヴァイブしていた時間は小野田寛郎さんのがもうちょっと長いけど、こちらは本当に一人っきりで過ごした男の記録(小野田さんが一人っきりになったのは最後の数年間)。本人がソローの『森の生活』をインチキよばわりしているもいい。


WHAT HAPPENED 何が起きたのか?
ヒラリー・ロダム・クリントン
光文社
2018-07-18


私生活を覗き見したいという気持ちで読んだことを白状します。あの敗北のあと、ひとりの人間としてどのように私生活を守り、回復したのか、そのあたりがおもしろかった。


イリヤの空、UFOの夏 その1 (電撃文庫)
秋山 瑞人
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2014-03-26


全4巻を出張の飛行機のなかで一気読みした。ライトノベルというよりも「キャラクター小説」と僕としては呼びたいんだけど、そのキャラクター小説としてお手本のような作品だと呼ばれる意味がよくわかった。こういうのが好きかと言われるとそうでもないんだけど、その分野の最高峰に位置する作品として、実によかった。もっと若いときに出会っていたら夢中になっていたと思う。




森博嗣を全部読んでいるという同僚に、「S&Mシリーズしか読んでないんだよね」といったら詳しい説明抜きでこれを薦められ、はまった。はまったし、こういう書き方をしてみようかと学びたいところがたくさん。


鏡のなかのアジア
谷崎 由依
集英社
2018-07-05


日本語の小説を更新するような小説ですよと薦められて読んで、実に、更新してた。うまく言えない。

108冊目 「わたしの器 あなたの器」 高橋みどり

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ひさしぶりの更新。

去年の後半でしたか。本を一冊も読まなかった月というのがあったんです。どんな時でも、時間がないだなんてことはないわけで、つまりは読む気にならなかったというただそれだけのことなんだけども、自分にとっては貴重な体験ではありました。
本なんて、読まなきゃ読まないでいいし、それは音楽も映画も一緒。離着陸を考えない紙ヒコーキには車輪がないし、納豆のタレにはキャップがいらない。純粋な目的と、純粋に一体化して、あとは何も考えない。ひとつの幸せです。もし自分が使い捨ての道具ならば、だけど。

そうした時期にも終わりがあって、再び本を読みはじめたんだけど、ここのところは、すぐ紹介するのがはばらかれるタイプの本ばかり読んでます。実用書、ビジネス書、研究書。
うぶな分野の本に出会うと、まるでそれが世界の真実みたいに思えて興奮するんだけど、数年経って読み返すとロクなことがない。時の試練をくぐり抜ける本と出会うのも大変だし、まず真っ先に、自分自信がその試練に耐えられない。時勢に応じてまとう衣を変える哲学的カメレオンは、生存本能として肯定されたとしても、顧みるに醜い。

もちろんそんなことを言い出したら何も書けないわけで、何について書くのなら間違いを許せるか、その線引きしかない。それは自分にとって、文学であり音楽でありアートであり、いまは料理ということになります。時が経てば、あいかわらず自分はそのときどきの感性を裏切り続けるわけだけど、実用書やビジネス書や研究書のように、対象が裏切ることはない。

というわけで108冊目。『わたしの器 あなたの器』です。

107冊目 「どうするジョージ!」 クリス・ホートン

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飛行機の出発時間が遅れてふいに時間ができたのでひさしぶりに更新。

今回は、82冊目で紹介した『ちょっとだけまいご』(http://sasakill.blog.jp/archives/50878847.html)と同じ作家の絵本。これがまたおもしろい。

とにかく絵がいいからなのか、1歳ちょっとになる息子は本棚から毎日この本を勝手に取り出してペラペラめくって見ている。

お話の筋もいい。繰り返しのパターンと、続きを喚起させるユニークな終わり方。何度読み聞かせても飽きない。

クリス ホートン
2014-12

104-106冊目 「一私小説的の日乗」 西村賢太

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ひさびさの更新。あいかわらず読書のペースは変わらないものの、何も紹介する気になれない日が続いていたので。

2週間ほど前に、本棚からあふれた本を処分しようと手に取ったのが西村賢太の『一私小説書きの日乗』。私小説ではなく、こちらは本人による日記。売る前にと思ってパラパラ読んだらこれがえらくおもしろい。初読のときはそれほど感じ入らなかったのに。

だもんで、処分も撤回し、現在出ている限りの続編2冊も取り寄せて一気読みした。


毎日2時間のサウナ、人の悪口、大汗をかきながらのラーメンと、這いつくばっての原稿書き、そして晩酌に宝焼酎一本と、オリジン弁当その他で購めるジャンクなお菜。根がエチケット尊重主義でスタイリストにできている著者の、細かいところにはうるさいわりに鯨飲馬食する怠惰な生活を一向に顧みない様が最高におもしろく、ダークヒーローとしてこれ以上のストレス解消はない。ただの日記がこれほどおもしろいなんて、ちょっと他にない。

ヒーローの条件は、自分が生きられなかった人生を生きている、というところにある。北町貫太ならぬ西村賢太は、そのヒーローを地でいっていて、一種、蠱惑的な魅力さえある 

こんな、味方によってはつまらない本を(もちろん自分はそう思ってないけど)いちいちハードカバーの美しい想定で出してくれる出版社にも、なんだか感謝したくなった。

103冊目 「小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 」 阿古真理

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サトウタクシBLOGからの推薦書。
http://takushi.blog.jp/archives/52030725.html

これはおもしろい! 最近の新書ではお目にかかれないような密度で書かれた料理研究家史にして、近代の女性史。

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妻の出産をきっかけに、もともと好きだった家庭料理に以前より真面目に取り組むようになったその結果、我が家の味みたいなのが、少しずつできてきた。無理なく続けられる習慣と、味の好みによって、繰り返し登場する定番料理が決まってくる。

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