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ゲド戦記といえばですよ、私はずっと岩波の箱入りハードカバーで読んできました。こんな感じの紫色のにくいやつ。

影との戦い―ゲド戦記 1影との戦い―ゲド戦記 1
著者:アーシュラ・K. ル・グウィン
販売元:岩波書店
(1976-09-24)
販売元:Amazon.co.jp
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カバンに入れて持ち歩くには不適当な重さで、お風呂に持ち込むには立派すぎる装丁。だから寝る前にベッドでページを繰るしかない。そんな本です。それでもちょうど10回くらいは読んだと思います。

しかし先日、本屋で岩波少年文庫のソフトカバー版を手に取ったら、その軽さと、湿気に強いカバーに一目惚れ。そのまま2冊目を購入しました。これで、電車でもお風呂でもビーチでも読めるぞと。

影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫)影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫)
著者:アーシュラ・K. ル=グウィン
販売元:岩波書店
(2009-01-16)
販売元:Amazon.co.jp
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でも、なにより驚いたのは翻訳に新たな手が入れられているところ(予備知識なしで、1ページ目で気付いた俺エラい!)。

旧版と新版を数ページだけ比較しながら精読してみたところ、違いはほんのちょっとしたところなんだけども、それでもすごく読みやすくなっているように感じます。今後の愛読版はこっちになりそう。おすすめです。

大津波の記憶について(『ゲド戦記を読む』の中沢新一の解説から)

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世界中のあらゆる神話には、人類がかつて経験した大洪水や大津波の記憶が残されている。「ノアの方舟」はそのうちもっとも有名なものだろうし、「浦島太郎」も大津波の記憶の断片だという説もあるようです。

そんなわけで、今回の大津波の映像は、人類の根源的な記憶に訴えかけるものがあったんだろうなあ、とか思っていたら、ちょうどそれに関わっておもしろい文章を見つけた。


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ジブリの『ゲド戦記』のプロモーションで作られた『ゲドを読む』という文庫にある、中沢新一の解説がそれ。結構長いんだけど(文庫のページにして3ページ半くらい)、そのまま載せます。

日本にも押し寄せた多島海時代の波


ル=グウィンが『ゲド戦記』を書いた時代というのは、一個人の発想で何かが生まれるというよりも、時代を揺り動かす全体的な胎動が、個人の発想力、想像力の源になっていました。彼女にとって、書くべきは「有色の世界」であって、白人を中心に考えられて来た世界史や美術史の世界を、ひっくり返そうとしたのです。

こうした時代の波は、当時の日本にも押し寄せました。時代を覆う精神が、世界的に「多海島状態」になってしまったのですね。日本の若者たちも不安でした。なぜならば、まわりは海で、自分はそこに浮かぶ孤島のような存在であり、自分の拠って立つべき文化的なアイデンティティなんて信じられなくなってしまったからです。

日本人は太平洋戦争後、アメリカの文化や考え方を受け入れて高度経済成長を遂げました。アメリカからは「ハワイにつぐアメリカ合衆国の州」と言われて喜んでる人たちもいたのですが、これではいけないのではないかということにも気がつきはじめた。そんなとき、中国では紅衛兵がずいぶん威勢のいいことをやっているし、フランスでは若者が革命を起こしていた。ビートルズだってインドに行く。そうした一連の出来事に、日本も若者達も影響を受けました。そして、心の中が多島海時代に入ってしまったのです。そういう状況のもとで、日本でも『ゲド戦記』が読まれました。

海の上というのは、一切の価値観が転倒してしまう場所です。自分がいた世界の価値観から、切り離されてしまう。しかし、日本は島国で、もともと海に浮かんでいる感覚をどこかで持っていた国民ですから、『ゲド戦記』の世界観は受け入れやすかったということもあるでしょう。ル=グウィンの作品は、自分たちの心境をとらえたものとして、日本の若者達に受け入れられていったのです。

ル=グウィンは、引き寄せられるようにしてアメリカ先住民の世界へ向かい、それを経て『ゲド戦記』を書き始めました。そしてそれは、地球的な規模で無意識の思考が浮上してきた時代の精神とも通じていました。だからこそ『ゲド戦記』は、現代の古典としての意味をもっています。古典作品は、作家の個人性を超えた、人類の無意識からしか誕生しないのです。


コンピューター・ゲームも「大津波」の産物


現在に続くコンピュータ・ゲームのブームというのも、あの時代と無縁ではありません。ゲームも多島海の世界観につながっています。それを都会で暮らす子供たちがつくるとしたら、ダンジョンのような地下の迷宮世界になっていくのですね。

ゲームソフトの開発者たちは、60〜70年代の多島海時代を子供の頃に体感した世代で、その記憶がやがてゲームという形になっていったのです。今、主流となっている文化は、あの多島海時代に起こったことの記憶の破片によってできているというのが、私の印象です。

このことを考えるときに思い出すのは、ポリネシア文化のことです。ポリネシアの島々には、大洪水の神話が伝わっています。昔々、大洪水が島々を襲い、姉と弟の二人だけが残され、それが島の発端になったという神話は、ポリネシアをはじめ、メラネシア、ミクロネシア、インドネシア、マレーシア、フィリピンなど、環太平洋の島々に伝えられています。

カナダにラブラドル湾という場所があり、氷河期には、湾全体が氷河で覆われていたのですが、地球の気温があがって氷河が一気にとけたことで大津波が起こり、とくに大きな被害を受けたのが環太平洋地域だったことが、科学的な調査からわかっています。ポリネシアの文化は、そのときの記憶をずっと持ち続け、記憶の破片を神話にして語り伝えてきたのです。

それと同じように、60年代には、精神的な大津波が世界的な規模で若者たちを襲ったわけですが、そのときの記憶の破片を集めて作られたのが、「ドラゴンクエスト」をはじめとする現代の神話としてのゲームだった、という気がします。

これは2007年頃の文章ですが、今この状況で読むと、また違った感慨が湧いてくる。集団の記憶というのは、こうして折り重なっていくんだな、というのを実感している。

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5th elementではなくfive elementsでは? という気もするけど、まあとにかくそんなテーマが話題になってました。

フィフス・エレメント(その人に影響を与え、価値観を構成する要素となった5つの表現) - 空中キャンプ

いぜん友だちと飲んでいたとき、〈フィフス・エレメント〉について教えてもらった。これは金髪のブルース・ウィリスが登場するリュック・ベッソンの映画タイトルではなくて、「その人に影響を与え、価値観を構成する要素となった5つの表現」を挙げていくという遊びである。誰しもそれぞれの〈フィフス・エレメント〉があり、5つの要素から見えてくるその人があっておもしろいとおもった。これを提唱したのは大根仁さんだそうで、スチャダラパーのBOSEさんはそれに答えて、みずからのフィフス・エレメントをこう答えていた。

1. 『うる星やつら ビューティフルドリーマー』
2. 植木等の無責任シリーズ
3. 『ファンタジア』(ディズニー)
4. 藤子・F・不二雄 短編集
5. 『マトリックス』(Part1)

なるほどこれはおもしろそうだ、ちょっとやってみるか……と思って考えはじめたらリストがどんどん伸びて止まらなくなった。悩みに悩んで5個に絞り込むのにかかった時間は1週間。なんて高カロリーなテーマなんだ。これがあれば酒の席で話題に困らなそう。


というわけで現時点のフィフス・エレメントはこれ。

1.ゲド戦記(アーシュラ・K・ル=グウィン)
2.はっぴいえんど
3.羽生善治
4.走ることについて語るとき僕の語ること(村上春樹)
5.崖の上のポニョ(宮崎駿)


今日現在におけるさまざまな場面において僕は、ゲド戦記的で、はっぴいえんど的で、羽生善治的で、走ることについて語るとき僕の語ること的で、崖の上のポニョ的なものを“善”として価値判断してます。そういう意味で現役バリバリのフィフス・エレメント。


で、それぞれに一言コメントを添えようと思ったら長くなったので、あとで書く。

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本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)
著者:平野 啓一郎
販売元:PHP研究所
発売日:2006-08-17
おすすめ度:4.0
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小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書)小説の読み方~感想が語れる着眼点~ (PHP新書)
著者:平野 啓一郎
販売元:PHP研究所
発売日:2009-03-14
おすすめ度:5.0
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という2冊の本を、よりによって速読した。
罰当たりな本の読み方をしてしまったと思います。


ちなみに、文章の読み方を書いた本としては、平野啓一郎さんが敬愛する三島由紀夫の「文章読本」が有名です。多くの文章読本が「書き方」に主軸を置くのに対して、ここでは「読み方」に主軸が置かれています。そのことがもしかして、平野啓一郎さんにこの読み方シリーズを書かせたのかもしれません、と勘ぐってみました。

文章読本 (中公文庫)文章読本 (中公文庫)
著者:三島 由紀夫
販売元:中央公論社
発売日:1995-12
おすすめ度:4.5
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私がスローリーディングしたと自信を持って言えるのは『ゲド戦記』。暮らしのなかのいろんな場面で、「それってゲド戦記でいうとこういうことだよね」ってことが思い当たるくらい、血肉になってます。
そういえば1年前に「ハヤブサ」という記事を書いたんですが、これもゲド戦記の話しでした。ってもうあれから1年も経つのか。つい最近の記事みたいだ。4月は忙しくてジョギングしたくなるってことですね。

影との戦い―ゲド戦記 1影との戦い―ゲド戦記 1
著者:アーシュラ・K. ル・グウィン
販売元:岩波書店
発売日:2000
おすすめ度:5.0
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ゲド戦記

ゲド戦記を観た。
最初はシリーズ第3巻『さいはての島へ』の映画化と聞いていたけど、シリーズ第4巻から登場するはずのテルーが出てくることからもわかるように、実際にはかなりの部分がオリジナルストーリーだった。原作を忠実に再現しようとして失敗する映画と違って、これはかなり期待できるかも、と思ったのは最初だけ。観終わってみると、釈然としない気持ちと、映画で初めてゲド戦記にふれる人にちゃんと理解されるだろうか? という奇妙な親心みたいなものが残った。
では何が問題だったかというと、

- アレンの抱える個人的な問題をテーマとしたビルドゥングスロマンとして物語を再構築したため、より大きなテーマが矮小化してしまった。というか、本来あるべきテーマから脱線してしまった。

ということに尽きると思う。
以下に挙げるのは、上記の問題にたいするつぶやきみたいなもんです。

- ビルドゥングスロマンを描きたかったのなら、素直にシリーズ第1作『影との戦い』を映画化すべきだったのでは。アレンに“影との戦い”を再現させようとしたため父殺しなどの余計な設定が必要となり、それに引きずられた結果、ゲド戦記の豊かなテーマが描ききれなかったのではないか。

- 映画冒頭で提起された、「世界の調和」や「人間と竜」といったテーマが半ば放り出されたままだった。「かつて人と竜はひとつだった」というポスターのコピーはどこへいった。あれでは、ラストシーンをアレンとテルーの恋愛感情の表現だと感違いする人も出てきてしまうのではないか。

- 「テルーの唄」は、映画本来のテーマに忠実な作りで、詞も曲も声もよくてめちゃくちゃ素晴らしかった。ただ、それではアレンのビルドゥングスロマンの文脈には(あまり)沿わないから、重要なシーンでありながら唐突な感じがしてすんなり入ってこなかった。ただ、それでも涙腺がぶわっときた。それくらい「テルーの唄」は素晴らしかった。

宮崎駿監督の感想は「素直な作りで、良かった」だったそうだけど、確かに素直な作りだった。そういう意味では、確かに良かった。小説『ゲド戦記』から受け取ったものを映画に還元しただけ、という感じで、変にひねったりしてなくて良かった。

ササクリップ / ゲド戦記 - livedoor クリップ

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