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昭和の「円本」とKDPの「99円本」、その共通点と功罪

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前の記事でお金の話をしたらいろいろ反響があったので、もうちょっと丁寧に書きます。



新刊『セルフパブリッシング狂実録』でもとりあげなかったお金の話、ビジネス面の話をなぜいまになってしだしたかというと、ありていにいえば、週末に読んだ『カネと文学 : 日本近代文学の経済史』(山本芳明)の影響です。


カネと文学: 日本近代文学の経済史 (新潮選書)カネと文学: 日本近代文学の経済史 (新潮選書) [単行本]
著者:山本 芳明
出版:新潮社
(2013-03-29)

これは、明治以降の日本の文学をテーマに、作家がいつからなぜ社会的尊敬を得られるようになったのか(逆に言えば、それまでの作家というのは尊敬の対象ではなかった。少なくとも、親が子に期待する職業ではなかった)、というのを読み解いていった本です。
その“いつ”というのは明確に大正八年と断言していて、その“なぜ”は「筆業によってちゃんと暮らしていけるようにあったから」というお金の話で説明されます。そして、「作品の質」と「ビジネス」と「社会からの尊敬」が三位一体となったことで“文学”あるいはやや嘲笑的なニュアンスを含んで“ブンガク”が発展していった歴史が検証されています。

つまり私がお金の話をしたり、お金を意識したりするのは、この三位一体を現代のネット空間にも再現できるのかどうか? という問題へのささやかな試みです。もしそれが成功するならば、あたらしい文芸が起こるかもしれない、という期待を持ちつつの。

でも一方では、この三位一体がもう再現不可能なのではないか(少なくとも、同じようなことは起こらないだろう)とも思っていて、その問題を解決する糸口にあたまをひねっているところです。

この問題を考えるのに、大正・昭和の「円本」と現代の「99円本」を重ねあわせてみました。

円本というのは、「1926年(大正15年)末から改造社が刊行を始めた『現代日本文学全集』を口火に、各出版社から続々と出版された、一冊一円の全集類の俗称、総称。庶民の読書欲にこたえ、日本の出版能力を整え、また、執筆者たちをうるおした(via Wikipedia)」とされる日本出版史上の一大ムーブメントです。

ところがこの『カネと文学 : 日本近代文学の経済史』では、「執筆者たちをうるおした」とされるこの円本ブームの、語られなかった影の部分が検証されています。
その肝心なポイントは、円本で儲かったのは、すでに名を売っていた大作家だけで、新人〜中堅の作家はむしろチャンスが奪われ、作家業で飯を食っていくことができなくなっていった、というところです。なぜそのようなことが起こったかは本を読んでいただくとして、これと似たような状況が、いわゆるKDP本をはじめとするセルフパブリッシングの無料本・99円本にも見出せるような気がするのです。

無料本や99円本は、売れても(あまり)利益になりません。作家も、それを販売する電子書籍プラットフォームにとってもです。しかしなぜそれがビジネスになっているかというと、低価格の本が電子書籍プラットフォームの入口としての役割を果たすことで、ごく少数の著名作家の高価格な本がたくさん売れるようになり、全体としては利益がでる、という構造になっているわけです。つまり、儲かるのは、著名な作家と電子書籍プラットフォームだけ。この構造が、だれでも無料で行えるセルフパブリッシングの時代と、ソーシャルメディアによって加速するセレブリティの時代とあいまって、拡大化・加速化しています。

この構造のなかでは、もしかすると、円本ブームの頃のように新人〜中堅の作家はむしろチャンスが奪われてしまうのではないだろうか、というのが私の問題意識です。だれでも無料でセルフパブリッシングできるようになったことで、作品の質とは別の外部環境的な要因によって頭ひとつ抜け出すことが困難になってしまうとしたら、それはどのように解決可能だろうかと。いまだ無名な優れた本が、本当の意味で世に出るにはどうしたらいいのかと。

そのヒントは、あらゆるところに転がっていると思うのですが、それは決め手がまだ発見されていない、ということでもあります。

こういう状況で、私・佐々木大輔としては、前の記事に書いたようにカネの話をしてみたりじたばたと試行錯誤しています。一方、筆名・代々木犬助としては、考えてもしょうがないからと余計なことをせず沈黙してただ書き続けようとだけ思っています。こういうとき、自分のなかにふたつのペルソナがあるのは、精神衛生上、便利なものですね。

補足


すごく誤解を受けそうなポイントがあるので補足します。
円本の安さと99円本の安さが共通する、という意味ではありません。
円本は、言葉の印象から誤解を受けそうですが、当時の物価で考えたときに現代の99円本ほど安価なものではありませんでした。むしろ、結構それなりの値段だったということです。
それなりの値段がする円本として刊行されるのは、自然と、人気作家の人気作が中心となります。それが流行すると、人が使えるお金は限られていますから、代わりに雑誌の部数が落ち込みます。そして、雑誌掲載の原稿料で食っていた新人〜中堅作家の収入が落ちた、という流れだそうです。このあたりの詳細は、『カネと文学』をご覧ください。
つまり、私が書いた円本と99円本の共通点というのは、「安さ」ではなく、「人気作家の人気作にだけお金の流れが集中する」ことを指しています。


もっと評価されるべきKDP本


Pの刺激 - Punk is UnknowN Kicks -Pの刺激 - Punk is UnknowN Kicks - [Kindle版]
著者:ヘリベ マルヲ
出版:人格OverDrive
(2012-10-27)

BCCKSで紙版も買えます(購入はこちら)。私は最初Kindleで、そのあと紙でも買いました。それくらい価値がある。

ゴースト≠ノイズ(リダクション) 上ゴースト≠ノイズ(リダクション) 上 [Kindle版]
著者:十市 社
出版:十市社
(2013-02-06)

マヨネーズマヨネーズ [Kindle版]
著者:オドネル・ケビン
(2013-01-22)


関連本


セルフパブリッシング狂実録 - 誰でも作家時代の作家論セルフパブリッシング狂実録 - 誰でも作家時代の作家論 [Kindle版]
著者:佐々木 大輔
出版:焚書刊行会
(2013-05-10)

佐渡島庸平トークイベント 「超一流のプロとその他のアマ」論の行方

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※この記事は、セルフパブリッシング狂実録 - 誰でも作家時代の作家論 [Kindle版]』のなかの記事を部分的に公開したものです。


コルクの佐渡島さんがゲストに招かれた東京編集キュレーターアカデミー第4回(2013年5月1日開催)が、一部の参加者の間に少なからぬ反感と戸惑い呼び、イベント終了後もしばらく話題になっていました。

佐渡島さんは、講談社で『バガボンド』『ドラゴン桜』『働きマン』『宇宙兄弟』といったヒット作の担当編集者を務められたあと、作家エージェント業に特化した株式会社コルクを昨年末に設立した、業界が注目する人物のひとりです。その佐渡島さんを迎えて設定されたテーマは、「うまい編集ってなんだ? プロとアマの境界線」というもの。トークイベントではこの問いに対して非常に明快な解答が得られたわけですが、まさにその答えが波紋を呼びました。

いくつかの感想を紹介します。

「プロとアマの境界線」という問いに対して佐渡島さんは、「超一流と、それ以外のアマがいるだけだ」と、イベントの前提そのものがブッ飛ぶような豪速球をお投げになりやがりまして、なんだろう、「両国国技館のお前らに告ぐ。横綱以外はただのデブ」と言われた気分といいましょうか、集まったアマ(デブ)の心を根こそぎ折っていく感じがありました。さすがこれまで売った部数が3000万部超、「30万部ではまだまだ知られてない。100万部を超えてはじめて......」とおっしゃる方だけはあります。プロはすごいな。ほんとに横綱相撲だ。(daialog

言うなれば「車が誰でも買える時代、その中でより速く走るために必要なことを学びましょう」という会にミハエル・シューマッハーがF1マシンで登場して、「鈴鹿サーキットを毎周1分31秒代のペースで維持すれば勝てるよ!」て言っちゃったみたいな、そんな圧倒的ミスキャスト。(乱れなよ、そして召されなよ

話の理論も矛盾なく一貫したすばらしい講演であったのですが、求めていたお話と違うという点で若干の消化不良でした。なんというか、バイキング料理食べにいったら一品料理しかなくて、でもそれがすんごいおいしいクオリティなんだけど「あれ、俺バイキング食べに来たんだけど、でもこれはこれでおいしいし、むむう……」みたいな。(カイ士伝

こうした反応を引き起こした原因のひとつは、東京編集キュレーターアカデミーの趣旨との齟齬にあったわけですが、それを差し引いたとしても、いくつかの疑問は残りました。

専属編集者がつくべき超一流の作家が100人しかいないということは、その他は、編集者が付く価値のない作家か、あるいは編集者なしでセルフパブリッシングでやっていく作家か、ということになります。ということは、超一流の100人を担当していない(あるいは、その作家を超一流まで導けない)編集者は必要ないという挑発的な発言にも読み取れるので、そうであるならば、それは「編集」という職業を自己否定していくことにつながるのではないか?

しかし、そこからまた時間が経って冷静に考えてみると、佐渡島さんのスタンスはきわめて正しいと思うようになりました。

本書に収録した「鼎談・セルフパブリッシング狂時代」において、鈴木秀生さんは、紙の出版点数は現在の10分の1くらいが適正ではないかというようなことを取次時代の経験から語っておられます。また今後は、よりマスな人気を獲得できるコンテンツだけが、洗練された編集やプロモーションによって紙というプレミア商品になって流通していくと予想しています。そしてこれは、佐渡島さんの発言を違った方向から支える認識となるものです。
つまり、出版の市場の状況が変わっていくなかで、作家と編集者と出版社がタッグを組んで紙の本を作り日本国内だけで商売していける人数はもう限られてしまっているわけです。そうした認識のなかで、佐渡島さんは実にシビアに未来を予測し、トップの中のトップの作家と海外や電子書籍も含めた市場で戦っていくという宣言をされているわけです。そしてそのロジックのなかには、アマチュアの存在やセルフパブリッシングの意義を否定するニュアンスは特にありません。現状と未来をいち早く理解しているからこその、嫌みのない、きわめて正しい発言であると腑に落ちました。

それを理解するのに、「プロかアマか」という軸に「メジャーかインディーズか」という軸を加えて四象限のマトリックスを作ってみるとわかりやすいと思います。

 1. プロかつメジャー
 2. プロかつインディーズ
 3. アマかつメジャー
 4. アマかつインディーズ

多くの人が認識しているのは、「1. プロかつメジャー」と「4. アマかつインディーズ」の2つだと思います。ところが、ネットの登場やセルフパブリッシングの登場で、「2. プロかつインディーズ」に属する作品がどんどん増えていることは、本書をここまでお読みになった読者であれば十分に理解されていることと思います。そして佐渡島さんが語っているのは「1. プロかつメジャー」の世界の話であるわけです。

むしろ私がここのところ気になっていたのは、「3. アマかつメジャー」をに属する言説です。

新潮社の校閲は、あいかわらず凄い。 小説の描写でただ「まぶしいほどの月光」と書いただけで、校正の際に「OK 現実の2012、6/9も満月と下弦の間」とメモがくる。 このプロ意識! だからここと仕事をしたいと思うんだよなー。(新潮社の校閲すごいっ! 校閲のプロの仕事っぷりが話題

石井光太さんのツイッターをきっかけに盛り上がった校閲の話題で、校閲という技術のすごさに感嘆が集まるのは理解できますし、特に新潮社のそれは有名です。
しかしこの話題が広がるにつれ、違和感を感じるようになったのは、出版社から何冊かの作品を上梓している作家たちが、プロの編集・校正・校閲を根拠に自作の品質自慢をし、さらに同じことを根拠にセルフパブリッシングの作品に懐疑的であることを宣言しはじめるのを見てからです。
たしかに、出版社でそれを専業としている編集・校正・校閲の技術は素晴らしいわけですが、それはその技術者たちが素晴らしいのであって、作家が誇るべきものではないはずです。作家は、作品の本質こそを誇るべきで、むしろ、「自分の作品は編集・校正・校閲があまいところがあるけれど読むべきところがある」と胸を張って言えることのほうが大事なのではないでしょうか。まして、その欠如を理由に他者の作品を貶めるのは、どこか筋違いでもあり、自分のケツの穴の小ささを暴露するようでもあります。

佐渡島さんのプロアマ論の線引きが、冷静な現状認識と覚悟から生まれているとすれば、伝統的な出版ビジネスのシステムを前提にしたプロアマの線引きは、古きよき自分たち小世界を守るためのポジショントークにすぎません。そしてそれは、根はアマチュアなんだけど出版業界が元気な時代だからメジャーで出すことができた、という「3. アマかつメジャー」に属する人とみなすこともできるわけです。そして、これから危機感を覚えなければならないのは、この「3」に属する人なのではないかと思います。なぜなら、「専属編集者がつくべき超一流は世の中に100人もいない」というのは、極論でありつつも方向性としてはその通りだろうし、作家としての本質的価値に自覚的な人は、メジャーでもインディーズでも(むしろ両方をうまく使い分けながら)成功していくだろうということが、もうほとんどわかってしまっているからです。

佐渡島さんは、イベントの最後に作家と編集者の本質について語りました。それは以下のように要約ができます。

超一流か、そうでないかの違いは、誰かから受けた影響に自覚的であるかどうか。知らず知らずのうちに取り込んでしまっている他人のアイデアに自分で気づき、心を微分していって自分にしかないものを発見できるかどうか。他人の考えを借りるのは楽で、普通の人はそれに慣れすぎている。作家の心を微分して一流から超一流に導くのが編集者の本分。

この言葉こそは、「プロかアマか」あるいは「メジャーかインディーズか」という垣根を超えて響く金言であったと思います。


おしらせ


この記事を含む全文は、以下の本に収録されています。

セルフパブリッシング狂実録 - 誰でも作家時代の作家論セルフパブリッシング狂実録 - 誰でも作家時代の作家論 [Kindle版]
著者:佐々木 大輔
出版:焚書刊行会
(2013-05-09)


関連リンク


大ヒット漫画を支える編集者・佐渡島庸平に聞く「プロとアマの境界線」
イベントの全文書き起こし。

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小鳥ピヨピヨのいちるさんに『ブログ誕生』を薦められたので買ってみたんですが、2010年刊行でこのタイトルだから、本当に売る気があるのかと疑いたくなるレベル。人に薦められなかったら絶対に買わないですよこれ(でも、人に薦められた本は、実際にほとんど買います!)。

それを2〜3週間ほど本棚に置いておいたんですが、ふと本と目があってのでそろそろ読みごろだなと思って、週末に読みました。

ブログ誕生 ―総表現社会を切り拓いてきた人々とメディアブログ誕生 ―総表現社会を切り拓いてきた人々とメディア
著者:スコット・ローゼンバーグ
販売元:エヌティティ出版
(2010-11-25)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

確かにおもしろかった。

まず、2010年の時点で『ブログ誕生』という本を出すのはえらい遅すぎたんじゃないかと思ったけど、そうではなかった。それくらいの時間が経たないと、この「革命」の価値を冷静に批評できなかったという意味では、スマートフォンインターネットの時代の夜明けにこの本が出たのは、ちょうどいいタイミングだったというわけです。

この本のスコープは、巷間によく言われるブログ元年の2001年(911によってブログの価値が社会的に認められた、とかそういうエピソード)からではなく、MosaicやNetscape Navigatorが登場した1994年頃にさかのぼって時系列逆順の表示形式(日本で言う「連邦」みたいなサイト)がどのように広まったかという検証からはじまる。

そこから、Bloggerや、Weblogs.comや、BlogRollといったツール面の話(あと、PermlinkやRSSといった形式の話)。Google AdSenseなどのマネタイズの話や、プライベートを垂れ流しにする個人の意識の変化や、GizmodoやHuffington Postといった本格的なメディアの話に広がる。

本書で語られているのは、ネットおたくの雑学自慢や、わしが育てた的な優越感ではなくて、史上もっとも手軽なPublishing Toolを手にした人々の熱狂や戸惑いといったものだ。

だから、USとは事情の違う日本のブログに照らし合わせても、ブログではなくTwitterに読み替えて読んでも、ここに書かれていることの本質は変わらない。「総表現社会を切り拓いてきた人々とメディア」というサブタイトルに嘘偽りはなく、その意味で、大変な良書だと思いました。ECでもSNSでもゲームでもないインターネットの歴史と精神について、非常にいい教科書だなと。新卒採用の企画職には教養として読んでおいてもらいたいような内容でした。


「史上もっとも手軽なPublishing Toolを手にした人々の熱狂や戸惑い」ということで思い出したのが、紀田順一郎の『日本語大博物館』。10年前に読んで以来、再読することがなかったんですが、この機会にあらためて読んでみました。


日本語大博物館―悪魔の文字と闘った人々 (ちくま学芸文庫)日本語大博物館―悪魔の文字と闘った人々 (ちくま学芸文庫)
著者:紀田 順一郎
販売元:筑摩書房
(2001-09)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

中でも印象深いのは、活版印刷、写植、DTPといった商業印刷の正統とは傍流にある、ガリ版印刷(謄写版)。これもまさに、原始的ながらPersonal Publishing Toolなんだよなと再発見だった。現在にも続く同人カルチャーや、ブログで表現行為をするブロガーの原点みたいなもんだなと。

この本、Amazonにレビューも出てませんが、すごくおもしろいのでお薦めです。

あわせて読みたい


マガジン青春譜―川端康成と大宅壮一 (文春文庫)マガジン青春譜―川端康成と大宅壮一 (文春文庫)
著者:猪瀬 直樹
販売元:文藝春秋
(2004-09)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に新世紀メディア論-新聞・雑誌が死ぬ前に
著者:小林弘人
販売元:バジリコ
(2009-04-03)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る

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「装甲騎兵ボトムズ」連載開始! - チャンピオンREDいちご編集ブログ

タイトルを見て驚いた方、ネタではありません。
あのリアルロボットアニメの最高峰と言われた「装甲騎兵ボトムズ」のコミカライズが、いよいよ3月19日発売の5月号から始まります!

思えば、ボトムズと秋田書店は縁深いものがありました。
今を去ること25年前、ボトムズのコミカライズを弊社のTVアニメマガジンで連載して以来のご縁です。

今回、漫画を担当するのは、コミックスも発売されたばかりの「アキハバラ無法街」の鬼才・杉村麦太先生。
名作と鬼才の融合がどのような作品を生み出すか…それは本誌をお楽しみに。

5月号よりプレ連載スタートです。
お見逃しなく!

全文転載申し訳ないです。ただ、ブログとは名ばかりでパーマリンクがなかったのでそうさせていただきました。が、まずは「チャンピオンRED いちご」という雑誌の存在自体がカオスです。

チャンピオンRED いちご - Wikipedia
萌え路線に特化した内容となっており「オール読みきり・オールヒロイン15歳以下」がキャッチフレーズで、雑誌名の「いちご」は「15(いちご)歳以下」の意味を掛けている(中略)が、アダルトゲームのコミカライズや広告もあり「オールヒロイン15歳以下」を売りにするのは倫理上の問題が有るのではないかとも指摘されている。

そこへきて『装甲騎兵ボトムズ』だからもうよくわからない。
体育会系武闘派でならす秋田書店の血が騒いだからなのかなんなのか。強いて言えば、「いちご」と「キリコ」って響きがそっくりですね! とか。

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『ぼくばな』の人(kotorikotoriko)が「あなたの会社に僕がうかがいます」と書いたので、実際に招いてみた。特に深い考えがあったわけじゃないんだけれど、せっかくのネタなのでそれに応えようと思って。

出席したのは、某ベストセラー作家と、「本を出せない出版社が本を出せるようになるまでのブログ」の中の人と、最速インターフェース研究会の主任研究員と、あと途中から刺身☆ブーメラン。

結果から言うと、ブログ出版ビジネスの企画はダメだった。

そこは本人も途中で気づいたと言っていて、京都からわざわざやってきたというのに、企画の説明を最初から放棄していた。おかげで、なぜか私が出席者に企画の説明するというわけのわからない展開。珍しい経験をした。

ダメながらもよかったのは、「高度に発達したアマゾンは10年後のモニタと見分けがつかない」というキャッチコピー。これはメソッド化して使えるかもしれない。

- 高度に発達した携帯電話は10年後のパソコンと見分けがつかない
- 高度に発達したYouTubeは10年後のテレビと見分けがつかない

あるいはもっと適当に、

- 高度に発達したキャラ弁は10年後のネイルアートと区別がつかない
- 高度に発達した左手は10年後の右手と区別がつかない

とかでもいい。

中長期的にありえる(ありえない)未来を仮定し、現時点でそれに近い状態を実現するにはどうしたらいいか考える。今回やろうとしたのはそういうことで、持ち込まれた企画はダメだったけど、そこから発展する話はなかなかエキサイティングだった。

こういう話があればまた聞きたい、と思った。


関連リンク : ノッフ! - 東京に遊びに行ってきた

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