向上しながら滅びる
連休を利用して田舎でのんびりしてきました。だから、ふだん考えないようなことも考えました。これはその覚え書きです。特に偉そうな結論はないです。
著者:色川 武大
販売元:新潮社
発売日:1987-11
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色川武大(『麻雀放浪記』の阿佐田哲也)の『うらおもて人生録』という作品に、「向上しながら滅びる――の章」というコラムが収録されています。これがかなりいいこと言っているような気がしたので、ちょっと長いけれど引用します。
たとえば、誰かが、俺たちの生活が一変するようなものすごい発明をしたとするね。あ、人類にとって大きなプラスだ、科学の勝利だ、それはそのとおりなんだけれども、この勝利によって、その分だけ確実に、終末に近づいてもいるんだ。
勝ちだろうが負けだろうが、(中略)必ずなにかをうしなう。
だからどうせなら勝たなくちゃならない、とまァ考え方の手順としてはなるんだね。(中略)
ところが人間というやつは、ここのところでよくうっかりするんだよ。なんだか、勝てばぼろもうけができたような気になる。何も失わずに、何かを得たように思う。
それは一瞬一瞬では、そういう実感があるときの方が多いよ。でも、目に見えないところで、何かを失っているんだな。またそうでなければ、勝ちが本物じゃないんだ。
もっと根本のことでいえばね、誰だって、どうしても、昨日よりはもうすこしまともな生き方をしたいと思うだろう。なるべく、自分の生きたいような生き方をしたい。もっというと、昨日の自分というのは、他人より、ということと同じだね。なんとか、他人より向上したい。
そのために努力する。研究してセオリーを作るし、辛抱したりもする。あるいはまた、たたかったり、だましあったり、協力しあったり、愛しあったり、いろいろともがきながら生きる。そのことを食いとめることはできないね。(中略)
生きれば、その先は死なんだけれども、やっぱり生きていくんだ。そうして向上しながら滅びていくわけだね。
人生は結局、プラスマイナスゼロだぞ。
何かを失わなければ、それは本物の勝ちではないぞ。
それでも向上しながら、だけども滅びていくんだぞ。
こういうことが腑に落ちているかどうかで、近頃話題になった「海外で勉強して働こう」といった類のアジテーションへの反応も変わってきますよね。自分だけが得をしようとか、他人を出し抜いてやろうというつもりでマネをすると、どこかでつまずいて立ち上がれなくなってしまう気がします。
ちなみに、モノや情報へのアクセシビリティが究極まで高まるとどうなるかということについて、社会学者の宮台真司は2007年の『アクセス M2スペシャル』でこんな風に語っています。
『アクセス M2スペシャル 宮崎哲弥+宮台真司+渡辺真理』 第4弾 の13:28あたりから
宮台「世界が本当に図書館化して誰でもアクセスできるようになるということは、歴史が終わるということだと思う。というのは、すべてが既知性のなかに入り込んでしまうということ。既知性というのは、入れ替え可能と同じことだよね。そういう意味で言えば、ITの進歩というのは、歴史の終わり、主体の終わり、表現の終わり、あるいは、古い意味でのコミュニケーションの終わりを意味している。」
(その他の回のMP3 第1弾 第2弾 第3弾 第4弾 第5弾)
つまり、あらゆるモノや情報が AmazonやiTSやYouTubeやGoogle ブック検索などで簡単に手に入る状態では、一度手放したものでも容易に再入手ができるので、所有にこだわる意味がほとんどありません。
また、過去の良質なコンテンツに低コストでアクセスできる状態にあると、人は新しいものを生み出そうという意欲を失ってしまいます。
と、いうような究極の状態こそが、人類の終末だぞってことを言っています。
なんという警句!
私たち(特にIT業界で働く人たち)は、この終末に向かって日々せっせと励んでいる、というわけですね。
だから引き返そうよって話ではありません。
たとえば、紙の本の文化を愛しながらそれでも「Google ブック検索」の究極系を夢見るときに、少なくとも私は「人生は結局、プラスマイナスゼロだぞ。何かを失わなければ、それは本物の勝ちではないぞ。それでも向上しながら、だけども滅びていくんだぞ。」ということに自覚的であろうと思った、という話しです。
そしてそれは、ひとつの敬意の払い方というか、謙虚さだよなあと思いました。時計の針を進める人に求められるモラルというかなんというか。

著者:梅田望夫
販売元:中央公論新社
発売日:2009-04-24
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先手と後手でどっちが有利かというようなところまで結論がでてしまうと、その瞬間が将棋の滅びでのときであるような気がします。その意味では、プロ棋士たちも向上しながら滅びる道を進んでいるわけですね。