『まぐれ』から『心温かきは万能なり』まで
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著者:ナシーム・ニコラス・タレブ
販売元:ダイヤモンド社
発売日:2008-02-01
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タイトルで誤解されるかもしれませんが、これは投資家にだけ向けて書かれた本ではありません。万人に共通するであろう原則が書かれています。私はこの本を、将棋とか麻雀といった勝負の世界のポジションから読みました。
というわけで、以下に書き連ねるのは書評ではありません。この本をヒントに考えたことの覚え書きのようなものです。と、あらかじめ宣言しておきますね。
まずは本文の引用から。
『まぐれ』(p248)
『生存する脳』の主張はとても単純だ。外科手術をして誰かの脳の一部(中略)を切除したところ、情緒を感じる能力が失われたが、それ以外には一切なんにも(中略)変わらなかったとする。(中略)さて、感情や情緒から解放された、純粋に合理的な人間ができあがったわけだ。
さあ観察してみよう。ダマシオ(※『生存する脳』の著者です)の報告によると、情緒が一切ない人間は、もっと単純なことさえ決められなかった。朝はベッドから起きてこられず、ああでもないこうでもないと悩んで一日を無駄に過ごす。
私情をはさまず合理的な決定を下せるようになるのでは…という予想に反して、人は情緒なくして意思決定ができないという結果が出たわけですから、これは驚きですよね。
ただ私は、「そういうもんなんだろうな」というのをこの本を読む前から知っていました。教えてくれたのは棋士の羽生名人。昨年放送されたインタビューからその発言を抜粋します。
『百年インタビュー 羽生善治』(NHK)
熱くなりすぎるとか、冷静を失うというのは、良くない時もあるんですけど、感情があるからこそ、いろいろな発想であるとかアイディアとか、集中力とか瞬発力を生むということもあるので、一概にサイボーグのように感情を排除してやるのがいいとは思わないのです。感情をうまく使うというか、一つの起爆剤のようにする。それが大きな集中力やモチベーションを生むことは、良くあることなんです。
極限の集中力が求められる場面ではふつう、感情を鎮めよう鎮めようとしますよね? 学生時代の部活では少なくともそう教わったような気がします。
でもそうじゃなくて、むしろそれを燃料に集中力を高めるのだ、ということを羽生名人は言っています。感情的になることが悪だと思っていたそれまでの考え方からすると、すごいパラダイムシフトです。
その羽生名人は、同じ番組で以下のようなことも言っています。
『百年インタビュー 羽生善治』(NHK)
今日勝つ確率が一番高いというやり方は、十年後では、一番リスクが高くなるんですよ。十年後では、進歩に遅れているというか、時代に取り残されているやり方なんです。つまり、どこまでリスクをとって、どこまで取らないかという、リスクマネージメンとのことだと思うんです。どこまでアクセルをかけて、どこまでブレーキをかけるかかが大事なこと。
一番手堅くやり続けるというのは、長い目で見たら、一番駄目なやり方だと思うんです。勝率の高いやり方にこだわるというのは、未来を見ているのではなく、過去を見ているということですから。
「一番手堅くやり続けるということは、一番駄目なやり方」
「勝率の高いやり方にこだわるのは、未来ではなく過去を見ているということ」
だそうです! 将棋というニッチな世界から導き出された哲学ですが、これは多くのことに共通する原則なんじゃないかと思います。
というわけでこのあたりでやっと「確率」っぽい話に戻ることができました。
『まぐれ』という本のテーマは、『運を実力と勘違いしてしまう自分の弱さをよく理解したうえで、正しい道を選択できるようにしよう!』ということだと私は読み取りました。
それを具体的な教訓に落とし込むと、
1.一度成功したやり方に固執しない
2.勝って負けても、礼儀正しく謙虚に
となります。
1についてはカンタンですね。
一度成功したやり方には、自分の実力も含まれているかもしれないけれど、運の要素だって充分に含まれているかもしれない。将棋のように実力重視の世界に生きる人でさえ、「一番手堅くやり続けるということは、一番駄目なやり方」「勝率の高いやり方にこだわるのは、未来ではなく過去を見ているということ」と言っているわけですから、運の要素が強い現実世界においては、一度成功したやり方に慢心せず、実力を高める努力をし続けるべきですよね。
と、まあだいたいそんなところです。
2について、私は麻雀でそれを学びました。
麻雀では、どんなにちゃんと打っていても、理不尽とも思えるようないろいろなことがあって、勝ったり負けたりします。それについて「勝てば実力、負ければ運」とするのは、あまりに身勝手で下品なわけです。勝ったら運のせいにして謙遜し、負けたら実力のせいにして精進するのが品格というのものです。
ちなみに将棋では、勝ったほうが「(勝負を運よく)拾わせていただきました」みたいな言い方をします。いい言葉です。
この「運」というつかみどころのないものをコントロールするテクニックについて、麻雀という分野からアプローチしているのが雀鬼・桜井章一氏です。

著者:桜井 章一
販売元:竹書房
発売日:1999-08
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麻雀は、将棋よりよほど複雑だけど現実世界よりははるかにシンプルであるというちょうどいいポジションにあるので、その世界の超一流の人が「運」のプロフェッショナルになるのは、ある意味当然だと思います。
ただそのことについて「オカルティックである」との批判もあります。しかし桜井氏は、本質的にはまったく間違ったことを言ってない、と思っています。
いろんな要素が渾然一体となったカオスな世界がなにかの「運」を左右するとすれば、それに対して小手先のテクニックで自分だけなんとかしようとしても、うまくいかないと思うんですよね。
カオスな世界に対抗するには、ちゃんとあいさつするとか、思いやりをもつとか、利己的にならずWin-Winを目指すとか、“自分を通して世界そのものに働きかける方法”が有効なんだと思います。
自分だけでなんとかするのではなく、世界そのものに働きかける。
これが大事なんだと思います。
そう考えると、桜井氏の『心温かきは万能なり』って言葉は、世界そのものに働きかけることの有効性と説いているようで、すごい名言だあと思います。
最後になりますが、以下は『まぐれ』の最後を締める文章です。
『まぐれ』(p315)
私たちは、目に見えるものや組み込まれたもの、個人的なもの、説明できるもの、そして手にとってさわればわかるものが好きだ。私たちのいいところ(美意識や倫理)も悪いところ(たまたまなのにその気になる)も、みんなそこから湧いて出ているように思う。
人の本性は、説明も理解もできないような不思議なものをそのままにしておくことができないんですね。弱さゆえに、合理性ゆえに。
「なんとなく」じゃ気持ちわるいから「わかったつもり」になりたいし、「たまたま」じゃすっきりしないから「俺がうまくやった」と思いたい。そうやって運を実力と勘違いするうちに、努力することを止め、自分で自分の限界を作ってしまうようになります。「バカの壁」が自分の成長を妨げている状態ですね。
ではそれをやぶるにはどうするか?
繰り返しになるけれど、「一度成功したやり方に固執しない」「勝って負けても、礼儀正しく謙虚に」ってことをやり続けるしかないのではないかと思います。
文章にしてみるとも陳腐な教訓だけど、その教訓が生まれたバックグラウンドに自分なりに納得しているかどうかが重要だと思うので、やはりこれは新しい発見でした。
以上、覚え書きでした。
おまけ。
大学のゼミでは認知心理学/学習心理学みたいなことをやっていました。「わかったつもり」というのは、そのときの教授の本です。「わかったつもり」が壊される瞬間を、実験的に体験できます。

著者:西林 克彦
販売元:新曜社
発売日:1997-08
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もうひとつおまけ。
桜井氏の言葉は、『7つの習慣』のスティーブン・R・コヴィーの言っていることとそっくりだったりします。この類似性については、対応表を作っていつかまとめたいと思っています。

著者:スティーブン・R. コヴィー
販売元:キングベアー出版
発売日:1996-12
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