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山本素石の本がすべて絶版になっているってのは、なんて犯罪的な文化的損失だと憤っていた頃がありました。だいたい10年くらい前の話です。

その当時はAmazonのマーケットプレイスもなくて、山本素石の本を探すには地道に古本屋を回るしかなかったし、そのためだけに1日かけて神保町を探しまわる、なんてこともしました。
そしてその度に、こんなに優れた作家がこのまま時代に埋もれてしまうのは残念過ぎる…との思いを強くしていきました。出版社への就職を目指してフリーターをしていた頃の話なので、そういう無駄な時間や、無駄な怒りのエネルギーが有り余ってたんですね。例えるなら、西村賢太における藤澤清造みたいなもんですかね。

しかし今年、良心的な版元によってついに山本素石の作品が蘇りました! 非常に愉快です!


山本素石綺談エッセイ集〈1〉画文集「釣山河」山本素石綺談エッセイ集〈1〉画文集「釣山河」
著者:山本 素石
販売元:つり人社
(2012-02)
販売元:Amazon.co.jp
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山本素石綺談エッセイ集〈2〉釣りと風土山本素石綺談エッセイ集〈2〉釣りと風土
著者:山本 素石
販売元:つり人社
(2012-02)
販売元:Amazon.co.jp
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過去の作品を再編集したものとしては、全集に近い位置づけの『山本素石の本』(全4巻/絶版)があったのですが、今回のものはこれはそれよりコンパクトに、財布にも優しい金額になり、これまで単行本未収録だった作品も掲載されています。

釣り随筆という分野においては、もともと筆名の高い井伏鱒二や開高健の作品が今でも手に入れやすく人気も高いのですが、それを専門とする作家となればやはり山本素石。釣り随筆専門という商業性の低さゆえか、永らく絶版になっていた作品が、こうした蘇る機会を得たことが本当にうれしいです。

釣り随筆と言っても、「釣り」好きな人にだけ読まれるような作品ではありません。渓流釣りを通して、自らの人生や孤独に向き合う文学性、そしてユーモアこそがその魅力の本質です。だからこそ、より多くの人に手にとって欲しいと思い続けてきたわけです。

贔屓の引き倒しでここまで山本素石を評価しているのは自分だけじゃないかと思ってきたのですが、本書の解説文に「東の開高健、西の山本素石」という評価を見つけ、「やられた!」そして「なるほど!」と膝を打ち、かつまた、海外へ向かって明るく羽ばたく開高健と、国内の山奥へ暗く沈む山本素石が、これ以上ないコントラストとして頭に浮かびました。

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もし、『釣りキチ三平』を代表とする矢口高雄の漫画を読んだことのある方があれば思い浮かべていただきたいのですが、通奏低音になっているのは「失われていく豊かな自然へのノスタルジーと、破壊者の側に加担してしまっている原罪の意識」だったりします。
マイカーの普及によって、登山や渓流釣りが一気にブームになった時代のはざまで、それらのテーマに敏感に反応し、作品として昇華させたのが、山本素石であり、矢口高雄であると思います。

山本素石の場合は、それが廃村系の作品にもっともよく現れていると思います。廃墟や廃線や廃村は、もはや一過性のブームと呼べないほどに人気になっていますが、その元祖は間違いなく山本素石であり、「廃村茨川」の一連の随筆は、その先駆けであったと言えると思います。そして、全作品を通じて、これらの廃村系のおもしろさは飛び抜けています。ほんと最高ですよ。

あと、付け加えるならば、30代以上の人には懐かしいツチノコブームは、この山本素石が先鞭をつけたものです。と言われると、「誰それ?」と思っていた人にも身近に感じてもらえるかもしれません。

廃村からツチノコまで珠玉の名作ぞろいですので、ぜひ手にとってご覧ください。

山本素石の『釣影(つりかげ)』

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釣影 つりかげ

前の会社でお世話になったボンソワールさんに「おすすめの本はないんすか、教えてくれたらいいじゃない」とか言われてとっさに名前が出てきたのが“山本素石”という釣り人。
現在すべての作品が絶版になっているのでその意味では不適当なチョイスだったんですが、本当に素晴らしい作家なのでこの機会にぜひファンを広めたいと思って紹介しました。

山本素石を知ったのは上京してフリーターをしていた頃で、杉並区の図書館に入り浸ってお金をつかわずヒマをつぶしているときに見つけました。ちなみにそのときの本は『釣り山河』。今でもたぶん置いているんじゃないかな。

一冊読んですっかり心を奪われた私は、神保町を半日歩き回ったり(その日の収穫は1冊)、ヤフオクで落札したり、Amazonのマーケットプレイスで購入したり(これがもっとも効率がいい)、苦労しながら買い集め、いつか「この人の本がすべて絶版だなんて出版界の不幸だ!」とか大げさに考えるようになって、山本素石の選集の出版を企画したいなあなどと空想していました。

そんなわけで誰かと山本素石のよさをわかちあえたらいいだろうなと思いつづけて数年。今回ついにボンオソワールさんが読んでくれたというわけです。感激。

山本素石『つりかげ』(名曲喫茶)

内容は、ひとことで言えば、戦前・戦後の混乱期を、絵付けなどをしながら関西方面の渓流を釣り歩いた著者の半生記である。これが、山本氏独特のシニカルでへそ曲がりな視点で綴られる。
それは、この本の裏テーマである、秋本某という女性とのあれこれを描くときにも一貫していて、決して描写が甘くない。感傷的ではないのだ。

山本素石が山釣りにもっとも精を出したのは、敗戦の混乱、そして高度経済成長のまっただなか。その当時の山には、林業や炭焼きで生計を立てる男たちの活気が満ちていて、山の中で雨に降り込められても、釣魚をぶらさげて炭焼き小屋にいけば、マムシ酒と焚き火と一晩の宿にあずかれたというそんな時代のこと。

男たちが集まって深い闇のなか火を囲めば、それはもう猥談で盛り上がるしかない。当時はまだ健在だった“夜ばい”の経験者の武勇伝を肴に、酒盛りはいつまでも続く…といってもそんな話は全体のごくごく一部だけど、おもしろいんだなあこれが。

さて、なぜ山本素石は釣りにのめり込んだのか。

時代は、世の中がディスカバージャパンだなんだと言い出すよりずっと以前のことで、都会に出たがる人はいてもわざわざ田舎に出たがる人なんて多くはなかった(はず)。
そんなときにわざわざ山のなかに分け入っていくのは、単純に言って現実逃避なわけです。そしてその深い山のなかで孤独を玩ぶ男のかなしさ、おかしさが、なんともいえない味わいになっています。

本書のなかに、特別に印象的なシーンがあります。

釣りなどできようはずもない冬に、雪深く沈んだ(文字通り沈んだ)廃村にただひとりで泊まり、家に残してきた脳性麻痺の娘のことを想うというのがそれ。実はそのとき、山本素石は断とうにも断てない不倫の真っ最中にいて、その業の深さと孤独な廃村のイメージが重なって、なんともいえない感傷を呼び起こすシーンになっています。

そんな時代を経て山本素石がエッセイを発表し出すのは、マイカー族が地方の優良な釣り場を荒らして回った、つまりディスカバージャパンの時代になってから。そのときになって、釣りと不倫にのめり込んだ時代を一冊の本にまとめたのが、『釣影』という作品です(後に文庫化されたときは『つりかげ』というタイトルになりました)。

この本は、田山花袋、島崎藤村らの流れを汲む(しかし登場が遅すぎた)自然主義文学の傑作だと思います。安易に田舎気分を味わいたいからといってこの本を読むと大怪我をする、そんな本です。

Amazonのマーケットプレイスや、古本屋を丹念にチェックすればまだみつかるはず。あと、図書館をいくつかめぐれば、おそらく見つかるのではないかと思います。

あと、「復刊ドットコム」のリクエスト投票もしていますので、ご興味ある方はぜひご協力ください!

関連本

山本素石の全集も発表されています。
これには『釣影』が収録されていませんが、雰囲気は充分味わえます。

山釣り放浪記山釣り夜話山釣り万華鏡

ちなみに、山本素石は一般的にはツチノコの人ということで知られています。ツチノコがこれだけ有名になったのは氏の功績(?)とのこと。

完本・逃げろツチノコ

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