2018年を振り返る

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十日間ほどお酒を断ってみたら、すこぶる調子がいい。早起きできるようになって、料理したり、運動したり、勉強したりする時間の確保が簡単になった。映画もよく観るようになった。そうするうちに体重も減ってきたし、いいことずくめ。これを続けたら、飲酒の習慣がなかった十年前の体重に戻すのも難しいことじゃないように思えてきた。

振り返るに、2018年というのは、あたしい職場であたらしい人々に出会い、あたらしい習慣を獲得した年だった。

最近読んだ本、『青少年のための小説入門』とか『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』とか

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一冊読むと、関連する本が読みたくなる。するとさらに興味が湧いてきて、また本を読む。というようなことを繰り返していると、一冊読むごとに感想を書くのが難しい。意気揚々とレビューする、なんてことがしづらくなってくる。でもとりあえず、最近読んだいくつかの本をあげてみる。




小説を読むことに関しての友達には恵まれ得ても、書くことに関しての友達はなかなか得難い。この小説を通じて、自分にもこんな友達がいてくれたらなあ……みたいな胸が疼くような気持ちになった。作中、主人公のふたりがこんな会話をする。

「小説は無力だって言ってたけど、そんなことないよね」  少し黙ってから、おれはな、と登さんが真剣な声を出した。 「いままで生きてきて、本気でおもしれえと思ったのは、小説だけだ」 「ぼくも!」

僕もそう思う。人生経験に乏しいのかもしれないが、小説よりおもしろいと思ったものは他にない。

「ぼくは、小説は可能性の束だと思ってます。ポール・オースターが作品の中で、小説の中心はいたるところにあって、結末を迎えるまで円周は描けない、という意味のことを言ってます。編集者はもちろん、作家さんも、書き終わるまで作品の全体像はつかめない。本当にすぐれた小説とは、そういうものじゃないでしょうか」

わかる、わかりすぎる。僕もプロットを用意せずに書いていくスタイルであり、それが本当の楽しいと思っているのですが、それを(ポール・オースター)によってうまく言語化してもらった。


ムーン・パレス (新潮文庫)
ポール・オースター
新潮社
1997-09-30


今年になって、初めて読んだ。冒頭から全体の1/3くらいまでが特に素晴らしいと思いながら読んだが、果てしなく地滑りしていくような後半もまたいい。こんな風に小説が運動しだしたら、楽しくってしょうがないよね。「結末を迎えるまで円周は描けない」という意味がよくわかる。




ポール・オースターによってニューヨークづいた、というわけではなく、『僕らのネクロマンシー』を読んだ友人から、読後にこれを思い出したといって薦められた作品。初読。主人公が「きみ」と呼ばれて進行する二人称小説という奇抜さと巧みさが気になって分析的に読んでしまったが、ラストあたりの母とのシーンで没入感が高まりすぎて泣けてきた。そういうことか。だから僕の小説を読んでこの作品を思い出してくれたのかな? これはやられた。




うーん。最初はおもしろかったのに、その後、のれない。全体の3/4地点で力尽きそう。博識さに関心するより、その表面的な感じが気になって身構えてしまうし、そうなると文字数を稼ぐための冗長なおしゃべりが許しがたい。これがわかんないなんてバカだなって思われてもいいや。人に薦めたい本ではない。ちなみに前作『サピエンス全史』は楽しんだ。


みんなちがって、みんなダメ
中田 考
ベストセラーズ
2018-07-25


やまもといちろうさんが絶賛していたもの。イスラームの考え方にまったく馴染みがなかったので、目ウロコぽろりの読書体験。こらおもしろいわ。

自由というのは幻想です。そのことにまず気がつくことが大切です。自由があるとかないという二元論的な発想も、「西欧は自由で、イスラームは自由ではない」というのも誤りです。自由が幻想であると気づくとは、自分が何の奴隷になっているのか、どのような考え方の奴隷になっているのかに気づくことにほかなりません。

自分がどういう考えの奴隷になっているか、それに気付いたり、ゆさぶりをかけたりするのにいい。




戦後すぐ、昭和20年代に北アルプスの最奥部・黒部原流域で山賊と呼ばれた男の話。民俗学や山登りが好きな人にたまらない系の本。熊のクソまで鍋で煮て食うエピソードが最高だった。




明治150年の今年だけれども、岩手出身の自分として負けた側なので戊辰戦争150周年という感じがやっぱりちょっとだけして、機会があるとぽつぽつとこういう本を買ってしまう。ちなみにKindleで買ったらリフローじゃなくて読みづらい。失敗した。




スマニュー社内で開催された調査報道勉強会の推薦図書。清水潔さんの本は『桶川ストーカー殺人事件―遺言』に続いて2冊目。カポーティの『冷血』を再読しよう。


日本文明77の鍵 (文春新書)
梅棹 忠夫
文藝春秋
2005-04-01


新聞書評を読んで手に取ったんだったかな。熱を出しているときにパラパラ読んで楽しんだ気はするが「世界最古の土器は、今のところ日本で発見されたものであり、その技術がニュー・セラミックス産業につながっている」といった主張に「ほんとか?」という気がして一歩引いてしまった感じはある。




素晴らしい本だった。力作だし、爪痕を残さずにいないような内容だった。

オーウェルは本を禁止しようとする独裁者を恐れた。ハクスリーは、本を読みたいと思う人が誰もいなくなり、本を禁止する理由がなくなる社会を恐れた。
『1984年』が描いたのは、人々は痛みを負いながら制御されている世界だ。『すばらしい新世界』では、彼らは喜びを与えられることによって制御される。 オーウェルは、わたしたちが恐れるものがわたしたちを台無しにすると恐怖し、ハクスリーは、わたしたちが望むものがわたしたちを台無しにすると恐れた。

近く再読しよう。




実におもしろかった。夢中になって読んだ。サヴァイブしていた時間は小野田寛郎さんのがもうちょっと長いけど、こちらは本当に一人っきりで過ごした男の記録(小野田さんが一人っきりになったのは最後の数年間)。本人がソローの『森の生活』をインチキよばわりしているもいい。


WHAT HAPPENED 何が起きたのか?
ヒラリー・ロダム・クリントン
光文社
2018-07-18


私生活を覗き見したいという気持ちで読んだことを白状します。あの敗北のあと、ひとりの人間としてどのように私生活を守り、回復したのか、そのあたりがおもしろかった。


イリヤの空、UFOの夏 その1 (電撃文庫)
秋山 瑞人
KADOKAWA / アスキー・メディアワークス
2014-03-26


全4巻を出張の飛行機のなかで一気読みした。ライトノベルというよりも「キャラクター小説」と僕としては呼びたいんだけど、そのキャラクター小説としてお手本のような作品だと呼ばれる意味がよくわかった。こういうのが好きかと言われるとそうでもないんだけど、その分野の最高峰に位置する作品として、実によかった。もっと若いときに出会っていたら夢中になっていたと思う。




森博嗣を全部読んでいるという同僚に、「S&Mシリーズしか読んでないんだよね」といったら詳しい説明抜きでこれを薦められ、はまった。はまったし、こういう書き方をしてみようかと学びたいところがたくさん。


鏡のなかのアジア
谷崎 由依
集英社
2018-07-05


日本語の小説を更新するような小説ですよと薦められて読んで、実に、更新してた。うまく言えない。

僕らのネクロマンシーな旅 2018 春

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今年二月に刊行した『僕らのネクロマンシー』の舞台は、岩手県遠野市である。僕の故郷だ。しかし、自分が生まれた土地とはいえ離れて二十年近くも経っていてはちゃんと描けないだろうと思い、ここ二年ほどの間に、小説に登場させたすべての場所を実際に再訪し、作中のリアリティを確かなものにした。懐かしい風景のなかに、未来の光景を重ねて歩くのは楽しかった。

さて今回の遠野滞在では、小説を書き終えたあとに(あるいは書きながら)知り得たことを確かめるためにさまざまな場所を訪れた。


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小説の冒頭に登場する恋愛成就の「卯子酉様」。プライバシーに配慮してその願い事は写さないようにしたが、若い女性たちの文字で実に、実に賑わっている。僕が子供の頃はこんな場所ではなかったはずだし、小説のなかで書いたそれよりさらに賑わって感じられる。晩婚の時代にあって、今後もしばらく繁栄を約束された、いま遠野でもっとも注目すべき神様である。

ちなみに、作中「レディ」が卯子酉様で主人公を挑発するシーンは、筆者が密かに好きな場面のひとつです。


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間をすっ飛ばして、小説の最後に登場する「ナラティブと、ベッド」の立地からの眺めに相当するのがこの写真。松崎の田園風景、猿ケ石川、遠野町の市街地が見られる場所で、作中「領土すべてを見渡せる」「遠野の本当の中心地」と書かれてあったところである。ところがこうした場所は私有地になっており、小説の刊行前には見ることができなかった。それが今回、柳田冨美子さんの許可をいただいて「緑陰小舎」という建物の二階から確かめることができた。僕の描写に間違いがなかったことも確かめられて一安心した。

ちなみに、緑陰小舎の中身にも衝撃を受けたのですが、私邸なのでここでは公開はできません。あしからず。


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今回の滞在でもっとも楽しみにしていたのが、五月にオープンしたばかりの遠野醸造。ホップの栽培面積が日本一の遠野市でビールによる町おこしをする、というアイデアが小説中に出てくるが、それを書いたときにはまだ「遠野醸造」はもちろん「Next Commons Lab」もなかった。それがあれよあれよとこの二年ほどの間にここまでかたちになったということに本当に驚嘆し、心からの敬意を抱くばかりである。なにしろ僕のほうはフィクションだが、こちらは本物のビールである。




その遠野醸造で、遠野八幡神社で神職を務める多田宜史さんと、地域プロデューサーとして「to know」というプロジェクトをしかける富川岳さんの二名と、「僕らのネクロマンシーと遠野」をテーマに語ってきた。


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多田さんは、『教訓で読み解く遠野物語』という本をセルフパブリッシングされており、遠野の内田書店ではそれが若竹千佐子さんの『おらおらでひとりいぐも』と並べて売られている。


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富川さんは、遠野への興味と愛をよりアクチュアルなイベントというかたちで実現させている。上の写真は刷りあがったばかりの2018年のポスター(『遠野物語』序文の道を歩くイベントは特に人気とのこと)。


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そんなふたりと『僕らのネクロマンシー』を肴に酒が飲めるというのは、著者として、そして遠野を愛するひとりとして、こんなにうれしいことはない。それに、見ていただきたい。この数々の付箋を。




この付箋から繰り出される話とは、このようなものである。

・剣舞をモチーフにしたのは実に秀逸なアイデアである。剣舞(けんばい)の語源は、悪霊払いの反閇(へんばい)にあると言われており、降霊術をテーマにしたこの小説にふさわしい。しかも幻の剣舞は、過去、実際に存在した。佐々木さんはそれを知って書いたのか?(←まったく知りませんでした)

・この小説には、ご飯を食べるシーンがたくさん出てくる。それは人間とAIの対比を意図したことなのか? つまり、AIは電気に「いただきます」とは言わない。命をいただかずには生きていけないのが人間だと考えると、見事な対比になっている(←それ僕が考えたことにさせてください)

・遠野まつりの新たな出し物を企画する話が出てくるが、今から100年ほど前の遠野新聞におもしろい記述があったのでコピーしてきた。要するに「うさみみ」をつけてぴょんぴょん跳ねる、当時としては斬新な演出が評判になったとある。だから伝統にとらわれず、どんな出し物があってもよい(←VTuberのお神輿があってもいいんですね!)

などなど多数。



話の最中、関連資料のプリントが次々と出てくる。
私の書いたものはフィクションなのでわからないところはあきらめて想像で書いているが、それをかなりの部分まで正確な資料で補足し裏付けてくださるのは本当にありがたい。




そしてこのふたり、鞄のなかからあたりまえのように『注釈遠野物語』を出してきて、わからないところはすぐ調べる。




こちらは富川さんの『注釈遠野物語拾遺』。遠野物語研究所が発行しているもので、一般にはなかなか流通していない本もさらりと出てくるあたりさすがである(ちなみに後日、遠野博物館に同じものを求めにいきましたがすでに在庫切れでした)。

遠野を作品の舞台にするにあたっては、可能な限り資料にあたり現地に足を運んだつもりである。もちろんそれで完璧というわけにはいかなかった。しかしその不足と欠落も、悪くはなかった。おかげで、こうして遠野物語に魅せられた同世代の仲間が集まり、あれこれと自由に語り合うことができた。


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その後、あまりに近くにありすぎて足を運んだことのなかった「遠野物語の館」に行き、そこで柳田国男初期三部作の『遠野物語』初版現物がディスプレイされているのを見てきた(三部作は上記の他に『後狩詞記』と『石神問答』)。

初版わずか350部だけ刷られたこの本が、人口わずか28,000人あまりのこの町のあらゆるところにいまも影響を与え続けている。なんということか。それを知るほどに、この本の前から立ち去りがたい気持ちになっていった。


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上の写真は、現在『僕らのネクロマンシー』を店頭販売している日本で唯一のお店「NōTO GENERAL STORE」でのものである。実際に手に取って読めるようにしてくださっていて、僕が訪れたときもお客さんが読んでいた(もちろん、平常心でいられなかった)。

この素晴らしいお店NoTOも、小説執筆中には存在しなかった。なぜこうした人や、店や、出来事や、作品が集中しはじめたのだろう? 小説のなかに織り込んだ「こうなったらおもしろいな」という願いが、現実によってあっという間に上書きされそうになっている。本当に不思議である。遠野物語の書かれざる120話を生きているようだ。

きっと『僕らのネクロマンシー』を読んでから遠野に来ると、「河童」「座敷わらし」「ひっつみ」「ジンギスカン」といった手垢のついた遠野像とはまったく違うあたらしい遠野を楽しめると思います。過去それらに親しんできたも僕も、いままさに、あたらしい遠野を戸惑いつつ楽しんでいます。

インスタもどうぞ。

僕らのネクロマンシー販売サイト

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