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ケータイ小説を否定したら、ネットの可能性も、文学の可能性も否定してしまう気がする。
両者に与するものとして、そうはなりたくないという思いから、佐々木俊尚さんの『ケータイ小説家』を読みました。

ケータイ小説家―憧れの作家10人が初めて語る“自分”ケータイ小説家―憧れの作家10人が初めて語る“自分”
著者:佐々木 俊尚
販売元:小学館
発売日:2008-11
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これが不思議な本でした。

・小説の引用部分
・ケータイ小説家への取材部分
・著者(佐々木俊尚)さんの主観

が混じりあって、なにが小説でなにが事実でなにが主観かよくわからなくなり、次第に、そんなことはどうでもよくなってくるんですね。

ふつうに考えたら、何を言いたいのかわからないような本は敬遠されると思うのですが、この本に限ってはそれが素晴らしい効果を出しています。

「自己の体験」と「読者からの反応」と「創作」が混じりあったのがケータイ小説だとすれば、この本はそれに対応するように、「小説の引用」と「取材」と「主観」が混じりあっています。
つまり構造そのものが、ケータイ小説の成り立ちや雰囲気をトレースしているというわけです。

深読みしすぎでしょうか。

でもとにかく、「私語り」をめぐる近代文学のひとつの終着点としてのケータイ小説を考えるうえで、とても参考になる本でした。

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