最近読んだ本、『青少年のための小説入門』とか『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』とか
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小説を読むことに関しての友達には恵まれ得ても、書くことに関しての友達はなかなか得難い。この小説を通じて、自分にもこんな友達がいてくれたらなあ……みたいな胸が疼くような気持ちになった。作中、主人公のふたりがこんな会話をする。
「小説は無力だって言ってたけど、そんなことないよね」 少し黙ってから、おれはな、と登さんが真剣な声を出した。 「いままで生きてきて、本気でおもしれえと思ったのは、小説だけだ」 「ぼくも!」
僕もそう思う。人生経験に乏しいのかもしれないが、小説よりおもしろいと思ったものは他にない。
「ぼくは、小説は可能性の束だと思ってます。ポール・オースターが作品の中で、小説の中心はいたるところにあって、結末を迎えるまで円周は描けない、という意味のことを言ってます。編集者はもちろん、作家さんも、書き終わるまで作品の全体像はつかめない。本当にすぐれた小説とは、そういうものじゃないでしょうか」
わかる、わかりすぎる。僕もプロットを用意せずに書いていくスタイルであり、それが本当の楽しいと思っているのですが、それを(ポール・オースター)によってうまく言語化してもらった。
今年になって、初めて読んだ。冒頭から全体の1/3くらいまでが特に素晴らしいと思いながら読んだが、果てしなく地滑りしていくような後半もまたいい。こんな風に小説が運動しだしたら、楽しくってしょうがないよね。「結末を迎えるまで円周は描けない」という意味がよくわかる。
ポール・オースターによってニューヨークづいた、というわけではなく、『僕らのネクロマンシー』を読んだ友人から、読後にこれを思い出したといって薦められた作品。初読。主人公が「きみ」と呼ばれて進行する二人称小説という奇抜さと巧みさが気になって分析的に読んでしまったが、ラストあたりの母とのシーンで没入感が高まりすぎて泣けてきた。そういうことか。だから僕の小説を読んでこの作品を思い出してくれたのかな? これはやられた。
うーん。最初はおもしろかったのに、その後、のれない。全体の3/4地点で力尽きそう。博識さに関心するより、その表面的な感じが気になって身構えてしまうし、そうなると文字数を稼ぐための冗長なおしゃべりが許しがたい。これがわかんないなんてバカだなって思われてもいいや。人に薦めたい本ではない。ちなみに前作『サピエンス全史』は楽しんだ。
やまもといちろうさんが絶賛していたもの。イスラームの考え方にまったく馴染みがなかったので、目ウロコぽろりの読書体験。こらおもしろいわ。
自由というのは幻想です。そのことにまず気がつくことが大切です。自由があるとかないという二元論的な発想も、「西欧は自由で、イスラームは自由ではない」というのも誤りです。自由が幻想であると気づくとは、自分が何の奴隷になっているのか、どのような考え方の奴隷になっているのかに気づくことにほかなりません。
自分がどういう考えの奴隷になっているか、それに気付いたり、ゆさぶりをかけたりするのにいい。
戦後すぐ、昭和20年代に北アルプスの最奥部・黒部原流域で山賊と呼ばれた男の話。民俗学や山登りが好きな人にたまらない系の本。熊のクソまで鍋で煮て食うエピソードが最高だった。
明治150年の今年だけれども、岩手出身の自分として負けた側なので戊辰戦争150周年という感じがやっぱりちょっとだけして、機会があるとぽつぽつとこういう本を買ってしまう。ちなみにKindleで買ったらリフローじゃなくて読みづらい。失敗した。
スマニュー社内で開催された調査報道勉強会の推薦図書。清水潔さんの本は『桶川ストーカー殺人事件―遺言』に続いて2冊目。カポーティの『冷血』を再読しよう。
新聞書評を読んで手に取ったんだったかな。熱を出しているときにパラパラ読んで楽しんだ気はするが「世界最古の土器は、今のところ日本で発見されたものであり、その技術がニュー・セラミックス産業につながっている」といった主張に「ほんとか?」という気がして一歩引いてしまった感じはある。
素晴らしい本だった。力作だし、爪痕を残さずにいないような内容だった。
オーウェルは本を禁止しようとする独裁者を恐れた。ハクスリーは、本を読みたいと思う人が誰もいなくなり、本を禁止する理由がなくなる社会を恐れた。
『1984年』が描いたのは、人々は痛みを負いながら制御されている世界だ。『すばらしい新世界』では、彼らは喜びを与えられることによって制御される。 オーウェルは、わたしたちが恐れるものがわたしたちを台無しにすると恐怖し、ハクスリーは、わたしたちが望むものがわたしたちを台無しにすると恐れた。
近く再読しよう。
実におもしろかった。夢中になって読んだ。サヴァイブしていた時間は小野田寛郎さんのがもうちょっと長いけど、こちらは本当に一人っきりで過ごした男の記録(小野田さんが一人っきりになったのは最後の数年間)。本人がソローの『森の生活』をインチキよばわりしているもいい。
私生活を覗き見したいという気持ちで読んだことを白状します。あの敗北のあと、ひとりの人間としてどのように私生活を守り、回復したのか、そのあたりがおもしろかった。
全4巻を出張の飛行機のなかで一気読みした。ライトノベルというよりも「キャラクター小説」と僕としては呼びたいんだけど、そのキャラクター小説としてお手本のような作品だと呼ばれる意味がよくわかった。こういうのが好きかと言われるとそうでもないんだけど、その分野の最高峰に位置する作品として、実によかった。もっと若いときに出会っていたら夢中になっていたと思う。
森博嗣を全部読んでいるという同僚に、「S&Mシリーズしか読んでないんだよね」といったら詳しい説明抜きでこれを薦められ、はまった。はまったし、こういう書き方をしてみようかと学びたいところがたくさん。
日本語の小説を更新するような小説ですよと薦められて読んで、実に、更新してた。うまく言えない。
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