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タグ:スコット・フィッツジェラルド

58冊目 『風の歌を聴け』 村上春樹

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日曜日の散歩中に、古本屋の100円ワゴンで見つけた『風の歌を聴け』のハードカバー版。79年発売の村上春樹のデビュー作。

文庫版はすでにもっていたけれど、手にとって開いてみると、40の断片に分割された物語を読むのに適したデザインが気に入って再購入。

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ひさびさに読んだが、やはりおもしろい。当時29歳の村上春樹は、バーの仕事を終えた夜更けに、キッチンテーブルでかりかりとこの小説を書いたわけだ。

そういえば、今日ちょうど村上春樹のことが話題になった。文章を書くのが苦手だという大学生へのアドバイスがそれ。

文章を書くというのは、女の人を口説くのと一緒で、ある程度は練習でうまくなりますが、基本的にはもって生まれたもので決まります。まあ、とにかくがんばってください。


これがクソリプだと受け取られて話題になったわけだけど、果たしてそうだろうか。これは、村上春樹が自分自身をどう評価しているかによって印象が変わる不思議な回答だ。

もし、最後の一文の直前がこんな調子だったら。

わたしたちはスコット・フィッツジェラルドじゃないのだから、毎日こつこつ書き続けるしかないようです。まあ、とにかくがんばってください。

少しでもましな文章を書きたいと思う人への誠実なエールであるようにも読める。

そんな村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』をいま読んで感じるのは、才能よりもむしろ努力。洒落た言い回しや、都会的な感性。そうしたデコレーションの下に、29年間の読書と労働からうまれた消せない汗染みが見て取れる。

そうしたデコレーションを必要としなくなってからあとの村上春樹が、いま「基本的にはもって生まれたもので決まります」という言葉の意味はなかなか重い。ですよね。

そして、帯の裏の吉行淳之介の言葉も、なかなか含蓄がある。のちに揶揄されるやれやれ的な村上春樹像より誠実で、正確にその作家性を捉えていると思う。



56冊目 『1914年: 100年前から今を考える』 海野弘

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海野弘の本に戻る。

『1914年』という本は、いまからちょうど100年前がどんな時代だったかを振り返り、いまを逆照射しようという企画。第一次世界大戦、宝塚少女歌劇、フェミニズム、クリムトとシーレ、特殊相対性理論とDNAの発見、青年期の新聞とラジオ、などなど扱う範囲は広い。

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雑多な話題が詰め込まれているが、海野弘はそこに独自の文脈を与える。そのときに博覧強記の哲人・海野弘ワールドの航海図のようなものが見て取れて非常におもしろい。

たとえば、機械論が優勢な19世紀末かれ20世紀初頭のなかで、手仕事による植物的なデザインにこだわったイギリスのウィリアム・モリス。そうした生命主義に魅かれた知識人として、ロンドンに留学した夏目漱石を捉えなおす試み。
また、1910年代の画家としてエゴン・シーレに光を当て直すとともに、そのフレームの中に竹久夢二ら日本の画家をいれて再考する試み。

そういった文脈をまたひとつ学ぶと、過去の名作散歩がまた楽しくなる。フィッツジェラルド作品からわかる1920年代のニューヨークの狂乱の前にあったのが、この1910年代のなんだなあ、とか。そう思って読み直すのは楽しい。



4冊目 『マイ・ロスト・シティ』 スコット・フィッツジェラルド

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グレート・ギャツビーを書いたフィッツジェラルド。その短編作品の中から村上春樹が編んだアンソロジー。
表題作「マイ・ロスト・シティ」だけがエッセイなんだけど、1920年代のニューヨークでフィッツジェラルドのような人生を送った人のエッセイは、後世のわたしたちには小説と見分けがつかない。

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格調高い文章で描かれる、狂乱と失望のニューヨーク。躁鬱な都市に憧れて、流されて、逆らって、失って。
構成が素晴らしく何度も読んでも飽きない。だからテンプレ化は容易。2000年代の東京を舞台に、家入さんを主役にしたらちょっとした話題になるかもね。なんて。


マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)
フランシス・スコット フィッツジェラルド
2006-05

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