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あまりにもニッチな例え話だったので今まで誰にも話したことがなかったのですが、1時間ジョギングしてビール2本空けて長風呂して今とても気持ちがいいので、気負わず適当に書いてみます。

個人的に(コンシューマとして)、法人的に(ビジネスとして)、さまざまなインターネットのサービスを利用していて、哲学と呼んでもいいほどの厳格なポリシーを感じるのは、Googleだけです。それは、「このゲームのルールは定義するのは我々だ」という声が聞こえてきそうなほどに明確なメッセージです。

それに対して、人によっては拒否のポーズをとるのかもしれませんが、私はそれを大歓迎しています。「それ」というのは、個別のポリシーやルールではなく、明確なメッセージを愚直にサービスに織り込むことに対してです。

以下、上記の説明するニッチな例です。

Magic The Gatheringというトレーディングカードゲームがあります(遊戯王とかポケモンをご存知の方はそれを思い浮かべてください)。これには、大きく分けてふたつの遊び方があります。好きなカードを買い集めてデッキを作って戦う「構築線」と、カードがランダムに入ったパックをその場で開封して戦う「限定戦」のふたつです。

この「限定戦」のなかにはさらに、4人〜8人で遊ぶ「ドラフト」と呼ばれる遊び方あります。カードがランダムに入ったパックを開封し、好きなカードを1枚ずつピックアップし、残ったカードをとなりの人に渡し、まるで野球のドラフト会議のように即興的にデッキを作って戦うゲームです。

このゲームには、「隣人と協調すべし」という不文律のポリシーがあります。

どういうことか。
強いデッキを作ってゲームに勝つには、「どういう戦略でデッキを作っているか」を周囲の人間に明確に伝えたほうが有利です。そして同時に、周囲の人がどういう戦略を立てているか、正確に読み取ると、その有利がさらに確固たるものになります。
なぜなら、自分ひとりが孤立して作るデッキよりも、周囲と協調して作るデッキのほうが、強いデッキができやすいからです。互いの強みを殺し合うより、活かし合うほうが勝率があがるといのがおもしろいところで、それがこのゲームの隠れたルールとなっているわけです。

話を元に戻します。

Googleが明確なメッセージを発しているからこそ、そしてそれを正確に読み取ればこそ、周囲はさらに強くなることができるのではないかと思うわけです。また、Magic The Gatheringの例で言えば、自分たちの戦略を明確に周囲に伝えることができれば、さらに強くなることができるわけです。だから大歓迎だし、Googleなんか怖くない、とも思うわけです。

ちなみに、現在のAmebaのタレント戦略とか、かつてのlivedoorの時価総額世界一宣言とか、明確すぎるくらい明確でそこがすごいのだなと、この文脈からもあらためて思います。
というわけで私はいま、それに近いようなことに関して重点的にコミットして働いておるところです。

あー、Magic The Gatheringに強くなりたいなあ。ってそんな話じゃなかったんですが、誤摩化しつつ終わります。酔っぱらいました。

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メモです。

Google - Wikipedia

Googleの本社社屋は "Googleplex" の愛称で親しまれている。この言葉は、googolplex(グーゴルプレックス)の言葉遊びであり、Googleとcomplexとのかばん語でもある。


グーゴルプレックス - Wikipedia

グーゴルプレックス (googolplex) は10のグーゴル乗、つまり、10googol のことを指す。


かばん語 - Wikipedia

かばん語(portmanteau)とは、2語以上の単語の音と意味を組み合わせて作られた語である。ただし単にくっつけた合成語ではなく、完全に1つの単語のような形となったものを指す。


ジャバウォックの詩 - Wikipedia

『ジャバウォックの詩』は、英語で書かれた最も秀逸なナンセンス詩であると考えられている。(中略)
文中に出てくる単語の多くは、キャロルによって創作されたかばん語である。


引用ばっかりですみません。
しかし、ジャバウォックの詩を訳した人はすごい。

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ランチの後にぶらっと入った本屋で見かけて、ファーストフード店でお茶を飲みながらさっと読み終えてきた。

この『iPhone 衝撃のビジネスモデル』という本は、それくらい気軽に、乱暴に流し読みするくらいでちょうどいいんじゃないかな。Web業界の外の人を置き去りにした内容なだけに、Web業界の中の人にとっては超高速で読み終えられるはず。

本の内容は、iPhoneの発表を受けて爆発した著者の想像・予測・妄想を、ブログを更新するような勢いで書き下ろした、といった感じ。
その意味で、どれくらい信頼してよいかという点については疑問が残るところだけど、心に留まった内容もちゃんとあったので、ここでメモっておきます。


Microsoft → Yahoo! → Google → Apple(iPhone)


これは、インターネットにアクセスするための入口(ポータル)の覇者の変遷を端的にまとめたものです。もちろん、iPhoneの部分は予測なわけですが。

MicrosoftとYahoo!とGoogleが、いかにインターネットへの入口の役割を果たしてきたかについては、特に説明が不要だと思いますが、Appleの「iPhone」に関してはなんで? という感じがするはず。「電話もできるiPod」と「OSXのモバイル端末」っていうだけでMicrosoftやGoogleをひっくり返せるはずじゃないじゃん、と。

でもこの本には、そういうことが起こりうる可能性があれこれと書かれている。

自分が考える範囲で簡単にまとめると、「半形骸化している“ユビキタス”という理想が、iPhoneによって本当に実現できるかもしれない。もし実現できたとしたら、Appleは次代の覇者になるだろう」ということ。詳しくは本を読んでみてください。

そんなことを考えたこともなかった自分としてはとても参考になった。


最近、Wiiのインターネットチャンネルや、ケータイでモバゲーをよくやるようになったんですが、「PCのブラウザから見えるWebサイトだけをやっていればいい時代は遠からず終わるなあ」と、よく思います。なんだか、Webディレクターという職業に不安を感じたりして(笑。

あと、iGoogleやWindows LiveやMy YahooやnetvibesやPageflakesといったマイポータル系のサービスを使っていて感じるイマイチ感は、「次の入口(ポータル)はもっと別のところから別のかたちで生まれるはず」というのをなんとなく感じてるからなのかなあ、と思ったりもしました。

関連リンク : 書評 - iPhone 衝撃のビジネスモデル - 404 Blog Not Found

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梅田望夫は1960年生まれ、茂木健一郎は1962年生まれ。同世代だ。子ども時代の彼らにとって「未来」とは、明るく輝かしい世界を象徴する言葉だった。

そうした未来感を決定づけたのは、1969年のアポロ11号月面着陸。科学の進歩が人類の活動範囲を宇宙にさえ広げていくという、夢と希望に満ちた未来感を与える事件だったはずだ。

しかし実際には、そうした未来はやってこなかった。人類はいまだに地表にへばりついたまま、環境問題などの現実的な問題に追いやられている。

梅田望夫と茂木健一郎は、そういった時代にあえて、子ども時代に「宇宙」に夢見たような明るく輝かしい未来を、「インターネット」の世界に見いだそうとしている。たとえそれがオプティミストであると批判されるとしても。


というのが、「フューチャリスト」を宣言する彼らのポジションだ。


さて、この本で語られているインターネットの可能性には同意するところが多い。それにはもちろん、同じ業界の人間としての身内びいきが入ってるわけなんだけど。

でも、インターネットの可能性を語っている彼らのポジションには違和感があった。自分のポジションとはあまりに違っていたからだ。


1980年生まれの私にとっての未来感は、“終末”を抜きにして語れない。
80年代には、あらゆる漫画や映画や小説が、世界はいずれ破滅するもんだいう終末観を共有していた。『AKIRA』もそうだし、『風の谷のナウシカ』だってそう。あとなんといっても『ノストラダムスの大予言』のインパクトがでかかった。例ならほかにいくらだって挙げられる(っていうか、学校の図書室に置く本じゃないよな)。

そんな終末観のなかで、この世界はいずれどこかでリセットされる、という未来感が自分のなかに育っていった

そしてその終末を、自分たちの手でこの世界に招き寄せようとした事件があった。オウム真理教の地下鉄サリン事件だ。

しかし彼らにも、私たちにも、終末のときはやってこない
私たちはあいかわらず、この“終わりなき日常”を生き続けるしかない。


夢や希望に満ちた未来感をもてないまま生きる“終わりなき日常”はつらい。
ある人は、それに耐えるため、日常の隙間を埋める絶え間ないコニュニケーションに没頭する。またある人は、それから逃避するため、自分が作り出した自分だけの世界に閉じこもる

そういったことを可能にし、かつ、その手段を充実させたのがインターネットだと思う。考えてみれば、地下鉄サリン事件とWindows 95の発売が同じ年の出来事だというのも、なんだかおもしろい。


だから、私にとってのインターネットの第一印象は、どこか諦観の混じった、ネガティブなものだった。
もちろん今では、インターネットの可能性についてポジティブに考えているつもりだけど、梅田望夫や茂木健一郎のように、宇宙とインターネットに「フロンティア」という共通のタグをつける、という発想はなかった。そのオプティミスティックな未来感には、素直に驚いた。

まとまりのない感想だけど、よって立つポジションが違うと同じポジティブといってだいぶ感じが違うんだなあ、と思った。

Googleのパスワード設定画面におけるWebホスピタリティ

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先日、「Webホスピタリティ」という言葉について頭をひねらなければいけない機会があったんだけど、実例を挙げろと言われて困った。どのサイトにもなんらかのWebホスピタリティ的な部分はあって、それが具体的にどこか、ということが問題になるような気がするからだ。

で、そのときは苦しまぎれに「フォームの入力時に、これこれこうなってこんなふうに親切なサイト」みたいな説明でごまかしたんだけど、今日になってWebホスピタリティのあるサイトの好例を見つけた。Google(笑)。


Gmail


具体的には、下の画像のようなパスワードの再設定画面。
こういうのを、ホスピタリティと言っていいような気がする。


Gmail


上の画像は、パスワードが短すぎる場合のメッセージ。
下の画像は、パスワードの複雑さによって安全度のレベルを知らせてくれている様子。


Gmail

Gmail

Gmail


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